バンコク竹亭日記
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竹亭 メニュー 食事 ドリンク13
ムエタイ 竹亭4
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今日は朝イチでイミグレーション(入国管理局)に行ってきました。来月の始めにビザが切れるのでその更新手続きです。また、今までずっと使っていたノン・イミグラント・ビザBカテゴリー(いわゆるビジネスビザ)を、タイ人と結婚したのでOカテゴリー(いわゆる家族ビザ)に切り替える手続きもしてきました。家族ビザに切り替えると、更新の時に必要な書類が少なくなって多少楽になります。ちなみに、タイの役所は日本のそれ以上に提出しなければならない書類が多いし手続きがとても煩雑なので、タイ人のWさんにビザ、ワーキングパミット関係の手続きを代行してもらっています。今日も朝から来てくれました。さて、イミグレ側が警戒しているのは、私と妻が本当に結婚しているかどうかということでした。なぜなら、家族ビザをもらうために、偽装結婚する人がとても増えているのだそうです。つまり、恋愛関係のない相手に、謝礼を払って入籍してもらうのです。特に中国人とインド人の家族ビザ申請者に偽装結婚の例が多いそうです。私と妻の場合も、係官に書類を提出した後、別の係官のテーブルへ行くように言われました。そこで、女性の係官に二人のことについて簡単な質問をされた後、妻だけ残して私とWさんは部屋の外へ出ていなさいと言われました。私がまた係官に呼ばれたのはそれから約30分もたってから。今度は私へのインタビューです。二人が初めて出会った場所はどこですか。交際期間はどのくらいですか。奥さんの実家はどこですか。結婚式はどこでしましたか。結納金は幾らでしたか。贈り物の金の量はどのくらいですか。家には誰と住んでいますか。家は何階建てですか。壁の色は何色ですか。屋根の色は何色ですか。彼女の車の色は何色ですか。などなどと細かいことを尋ねてきます。私の答えと、妻の言ったことに食い違いがないか調べているのです。係官の人は、役人には珍しくユーモアのある人で軽口を叩きながらのインタビューですが、パソコンに質問内容と答えを打ち込むときの目は笑っていませんでした。さてインタビューも無事に終わり、ビザを一ヶ月間延長してもらって、家族ビザが発給されるかどうかは来月の月末にわかります。私の場合はたぶん何の問題もないと思いますが、また朝の交通渋滞のなかをイミグレーションに行かなければなりません。でも、しかたがないです。外国で暮らす者の宿命です。
2005.04.28
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観光地としても世界的に有名な東京浅草に、カオサン東京ゲストハウスという一泊2000円からの格安宿があるのをご存知ですか。昨夜、そこのオーナー植田御夫妻が竹亭にお見えになり、一緒にビアシンを飲みながらお話を伺いました。カオサン東京ゲストハウスは、成田から電車一本でアクセスできる好立地と圧倒的な低料金、そして植草御夫妻の暖かいおもてなしで、オープンしてわずか一年ながら平均客室移動率90%と大盛況だそうです。タイからも、口コミで若い旅行者が押しかけはじめているようですね。ところで植田さんは、若い時にバックパッカーをしていたことがあり、カオサンを定宿としていました。自分が始めた宿をカオサンと名付けたのも、大好きなカオサンのゲストハウスのような世界中から旅行者の集まる宿にしたいという願いから。そして、植田御夫妻の夢は浅草一帯のもうほとんど機能していない古い旅館を安いゲストハウスに改装して、東京にカオサンのような安宿地帯を作りたいというものです。そのために、物件を捜しては賃貸させてほしいと申し込むのですが、家主さんはかなり年配の人が多いうえ、もともと自分の土地で家賃も無いので宿泊客がほとんどいなくても食べていく位はなんとかなっているから、なかなかいい顔をしてくれないようです。このままではいけないとわかっていても、変革より今まで何十年もやってきたやり方に固執してしまうのですかね。よくある話ですが。目の前が暗闇にしか見えなくても、思い切って両足で踏み切ればそこに道はひらけるものですが。たぶん植田御夫妻の発想はホテル旅館業界の常識を超えているから「浅草カオサン化計画」が実現するまでは時間がかかるでしょう。でも、この計画はホテル旅館業界の顧客である旅行者が支持すると思います。今まで日本に行きたいけど高いから躊躇していた外国人も、安い宿があるならと日本に行きやすくなります。自分も東京に行く時はぜひ泊まりたいです。ベッドに高いお金を払うより、そのお金でいいレストランで豪華な食事をするほうが自分にとっては勉強になります。「浅草カオサン化計画」。いつか実現してほしいですね。その時はカオサン竹亭からも、旅行者を浅草カオサンにガンガン送りこみます。
2005.04.27
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昨日、産休中の秘書兼経理のノーイが給料計算をしに店に出てきてくれました。ノーイは赤ちゃんを産んで、以前よりもきれいになったみたいです。女として自信に満ち、幸せオーラを全身から放射している感じで顔が輝いています。女の人って、赤ちゃんを産むとみんなきれいになるようですね。赤ちゃんと離れていても、家にいる赤ちゃんがお腹をすかせると胸が張ってきて母乳が溢れてくるそうです。実際、着ている服の胸のところが大きく濡れてしまって、家に電話をしたらちょうど姉が赤ちゃんにあらかじめしぼってあった母乳を飲ませているところでした。女の人ってすごいなぁと目が点になってしまいます。彼女に、自分の妻が風邪で体調を崩している話や、私が仕事でほとんど家にいないから寂しがっていると話すと、妊娠中や産後は女性は鬱になりやすいから気をつけてと言われました。また、少しでも家事とか手伝ってあげるととても心強いそうです。他の人にしてもらうよりも、自分の夫にしてもらうのが一番嬉しいそうです。正直言って、男には妊婦の辛さはわかりません。いろいろ要求がましいことをうるさく言われて、最初はやさしくしていても段々うっとおしくなってきて、つい不機嫌になってしまったりもします。プログには、今まであえて書くことはありませんでしたが、妻との感情的な行違いも最近増えてきました。もっとやさしくしてあげなければと心の中でいくら思っていても、行動にしなければ伝わりませんね。ここで宣言したから、今夜はくだらない意地は捨てて早速実行に移してみましょう。
2005.04.25
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昨日の夕方、カオサン唯一の日本人経営のタイ式マッサージ店チャイディーマッサージで一時間もんでもらってきました。私はとても若くて疲れ知らずなので(笑)マッサージを受けたいと思うことは滅多にないのですが、今日は新しく作った竹亭の宣伝チラシ(日本語と英語)をチャイディーマッサージさんの壁に貼らしてもらったので、ついでに受けてきたわけです。料金は一時間180バーツ(約500円)日本で受けたら何千円もするらしいですね。私を担当してくれたのは、マリちゃんというまだ若そうなマッサージ師。ニコニコしていて感じがいいし、腕もなかなか。マッサージしてもらいながらぐっすりと眠ってしまい、あっという間の一時間でした。 マッサージを始める前と終った後に、胸の前できちんと手を合わして挨拶してくれたのも微笑ましかったです。タイマッサージはテクニックだけでなく、マッサージ師のお客さんに気持ちよくなってもらいたい、喜んでもらいたいという気持ちがとても大切だと思います。そういう人にやってもらうと気分もとても良くなるし、外れた時は不愉快です。ちなみにそういう時は、急用を思い出したと嘘をついて途中でさっさと帰ってしまいます。お金を払うのだから終る前に帰るのはもったいないと一瞬思いますが、お金を払ってさらに不快なマッサージを我慢して受けるのはもっと馬鹿らしいですから。ちなみにマリちゃんは大当たりでした。次回は指名しようと思います。ところで、「地球の歩き方」が取材に来てくれました。8月に発売される「バンコク編」で竹亭を掲載してくれるそうです。本当にありがたいお話です。深謝合掌。
2005.04.23
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今日の午後、50歳前後の日本人男性が食事に見えました。どことなくひょうひょうとした感じのごく普通の人です。オーダーを取りにいったスタッフの女の子Pが、笑い転げながら戻ってきました。いきなり彼に「あなたはアンズマリン。私は小堀」と言われたそうです。ちなみにアンズマリンと小堀というのは、タイ人や在住日本人なら知らない者はいないくらい有名な、小堀というハンサムな日本軍将校とアンズマリンという美しいヒロインの悲恋物語です。要するに、若い女の子がいきなり初対面のオヤジに「あなたはジュリエット。私はロメオ」と言われたようなものです。Pは、意表をつかれて爆笑したわけです。ちなみに彼は、世界のあちこちを旅行しているそうですが、どこへいっても自分の名前は「アジノモト」と自己紹介しているそうです。なぜなら、日本語の名前は他の国の人には覚えにくいことが多いけど、「アジノモト」なら誰でも知っているから。言われてみればその通り。実にシンプルでわかりやすい。(笑)それに、いきなり「私はアジノモトです」と言われたら、どこの国の人だって思わず笑い出してしまうでしょう。最初は、聞いているほうが脱力するようなオヤジギャグを連発する、”ずれた”人なのかと思ったけど、彼の場合はどうも違うようです。余分な力が抜けていて、周りの人をもリラックスさせる人なんですね。彼の周りには、いつも笑顔が溢れているだろうなと思います。時々年配のお客さんに、周りの人に一目置いてもらいたいらしく威厳ぶるというか気難しい顔をしていて周りの人を遠ざけている人がいます。本人は内心寂しいけど、自分の態度が周囲の人を敬遠させているという状況が見えてないから、余計に表情が強張ってますます近づきがたくなる。それに対して彼は、「ナチュラル呆けキャラ」ですね。しょうもない冗談を連発しては、人を楽しませ自分も楽しんでいます。これは本当に頭がよくないとできないことです。お名前を伺うのも失念しましたが、彼には「達人」の称号を贈りたいです。
2005.04.20
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夜も9時を回り接客も一段落したのでオフィスに引っ込んで新聞を開いたら、スタッフのMが血相変えて入ってきました。「はしさん。お腹が痛いから早退させてください。」と言うと、私の返事も待たずにさっさと出勤カードを押しに行こうとします。慌てて追いかけて「おい。まだ帰っていいとは言ってないぞ」とちょっと声を荒げてたしなめました。改めてどうしたんだと彼女に聞くと、「今日、ソムタム(辛いパパイヤサラダ)を食べたからお腹ががちょっと痛いんです。」とのこと。我慢ができないくらい痛いのならともかく、そのくらいのことでいちいち早退なんかさせられないと思った時に、はっと気がつきました。あ、これは仮病だな。嘘の下手な子だな。顔に嘘だと書いてあるゾ。(爆)これは何か理由があるなと思い「どうしたんだ。何かあったのか」と尋ねても「何でもないです。」と憮然としています。「それなら、もう少し様子を見なさい。」と彼女の早退願いはあえなく却下されました。そのあと、彼女は普通に仕事をしていました。帰れなかったのがおもしろくないらしく、私の顔は見ようとしませんでした。夜10時半になり、従業員の夜食の時間です。Mはまかないの焼飯を、お皿に山盛りにして食べています。「あれ、お腹が痛いの治ったの?」とよっぽど言ってやろうかと思ったけど、気がつかないふりをしました。でも、彼女に背を向けてこっそりニヤニヤしちゃいました。(笑)
2005.04.19
ソンクラーン期間中、閉店していた竹亭は今日から営業再開です。今日の昼間は、日本食に飢えていたらしい日本人客と白人客でなかなか忙しいです。私は3日間、妻の実家のあるプラチュアップキリカンに行っていました。バンコクから車で4時間ほど南下したところにある静かな町です。休日はあっという間に終りました。楽しい時間はすぎるのが早いですね。まだ頭がぼうっとしています。潮騒が耳の奥で鳴っています。仕事は好きだけど、3日間も休むとストレスを感じます。怠け癖がまだでたようです。(笑)今日はやらなければならないことが溜まっているので、日記は手短に。明日はたぶん、いつものペースを取戻せるでしょう。
2005.04.16
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昨日は、数ヶ月ぶりに丸一日仕事を休んで妻と一緒に過ごしました。ハイシーズンが終わり、ソンクラーン前ということもあってお店がすっかり静かになってしまったので、久しぶりの奥さん孝行です。昼過ぎに起きて、近所の「MKレストラン」でタイスキのランチを食べ、ヘアーカットをして家に戻りました。そして一休みした後、身重の妻に全身レイキを一時間ほどしました。今日は休養充分だから、いつもより気が強く出ているようです。お腹の赤ちゃんにも「これがお父さんの手だよ。生まれたきたら君を守ってあげるからね。健やかに育てよ。待ってるからな。一緒に遊ぼうな」と話しかけながら気を送りました。妻の太ももの付け根に両手を当てているとき、手のひらが風でも流れているようにスース-しました。初めての感覚です。妻が、まぶたの裏に光が見えたと言っていました。嬉しかったです。その後、妻はそのまま熟睡してしまいました。最近、ビールを飲むことが多くてレイキはあまりしていなかったのですが、やはりいいものですね。レイキをすると、自分の心も静寂になります。7月になったらレベル2を習おうと思っているのですが、遠隔ヒーリングが出来るようになるというので楽しみです。まず、山梨の両親に実験台になってもらうつもりです。(笑)
2005.04.10
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竹亭の常連さんに、三重県四日市市で「猫爺屋」というシルバー屋さんを営む中川夫妻がいます。彼らは2ヶ月に1回仕入れでタイに来るのですが、その度に日本からコミックをどっさりお土産に運んできてくれます。竹亭にたくさんあるコミックのほとんどは、中川夫妻からの寄贈品です。その中の一作品「お~い!竜馬」(全23巻 原作武田鉄矢 作画小山ゆう)を改めて読んだのですが、いろいろと考えされられました。この物語は、江戸時代の末期、当時としては稀有な自由で先進的な思想と行動力で倒幕運動に重要な役割を演じ、32歳で暗殺された坂本竜馬の生涯を描いています。この物語を読んで悄然としたのは、当時生きていた人たちはいとも簡単に殺されるということです。仕えている主君が違うから、倒幕派か佐幕派か、または特に理由もなく、日本刀で斬りつけられ、刺され、断末魔の悲鳴をあげ息絶える。今日生きていても、明日は生きていられるかどうかわからない。そういう時代だったんですね。戦国時代や太平洋戦争のあった時代も一緒です。我々は幸運にも、平和な国に平和な時代に生まれました。大きな病気や事故に遭わなければ、普通は天寿をまっとうすることができます。坂本竜馬は、32歳で暗殺されました。新撰組の近藤勇は、34歳で斬首されました。土方歳三は、同じく34歳で戦死しました。みんな若かったんですね。こうして我々が生きていられるのは、考えてみれば奇跡のようなことだと思います。一見平和な今日という日も、本当は事故やテロ、大災害などの何時起こるかわからない様々な危険と背中あわせで生きているのですから。タイに住んでいると、日本よりはそういうリスクが確実に高いですし。でも、かくいう私自身も毎日を無事に過ごすのが当たり前になって、今日という一日の、今という瞬間の本当の大切さを忘れてしまいがちです。それではいけないなと反省したしだいです。毎日を、今までの人生のなかでベストの一日とする心構えで生きていけたら理想的です。
2005.04.05
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4月1日から3日間、カオサン通りで「STREET THEATRE」というイベントが催されています。これはタイ国民に絶大な人気を誇る「プリンセス・シリントーン」の50歳の誕生日を記念したもので、カオサン通りに特設舞台を設営してダンスの公演、クラッシク音楽、各地方の古典音楽のコンサートを行い、タイの伝統的な芸術文化だけでなく、現代のアートまで知ってもらおうという催しです。人出は正直思ったほどのものでもないですが、毎晩催される路上コンサートには、たくさんのタイ人、外国人旅行者が詰めかけ歓声をあげています。たまたま無料でコンサートやダンスが見れるなんて、ラッキーな旅行者たちです。私も仕事をサボって音楽鑑賞としゃれこんでいます。なかでも、初日の北タイのドラム楽団のパフォーマンスは、下腹にズンズン響いてすごい迫力でした。下の写真はカオサン路上でおこなわれたタイダンスのパフォーマンス。 優雅にあでやかに舞う美女軍団に、たちまち人だかりができました。
2005.04.03
今朝、お座敷の畳を新しく入れ替えました。5年前の開店時に入れた別の業者の畳は品質が悪く、たったの5年ですっかり傷んでしまいました。今回お願いした業者の畳は、日本から輸入したイグサを使い4,5年たったら畳表を裏返してさらに使えるとのこと。畳の中身は、ココナツパルプの圧縮材です。踏みしめた感触は適度に柔らかくて、試しに寝転んでみたらかなりいい気持ちです。青畳 今日の竹亭は、青畳のかぐわしい香りが満ちています。日本が恋しくなった旅人たちが、きっと喜んでくれるでしょう。
2005.04.02
先夜、カオサンに仕入れに見えた放浪の達人さんが、ご夫婦で来店してくれました。日頃、彼の日記を読ませてもらっているから、初めて会ったのに初めての気がしません。日記を通じてお互いの生活や考えていることに触れることによって、初対面にも関わらず親近感と親密感が増すようです。これならきっと、プログで出会って恋人同士になる人たちもたくさんいそうですね。放浪の達人さんは、話してみたら私と同学年でした。もっと若かった頃は、働いていても周りは年上目上の人ばかり多かったような気がしましたが、いつの間にか自分と同年代もしくは自分より若い連中と出会うことが多くなりました。25才だった当時は、40才の人がものすごく大人のオヤジに見えたものですが、実際に自分が41になっても自分のことをいわゆるオヤジとは思っていません。周りの人がどう見てるかは知りませんが。(笑)私は40台は男の「ゴールデン・エイジ」だと思っています。今まで積み重ねてきた経験、知恵、多少の財力とまだまだ盛んな体力で、やりたいことが何でも実現できる10年間だと思っています。残りの9年間で、やりたいことがどこまで実現できるか楽しみです。41才になってよくわかったのは、自分がいかに未熟かということ。これから、人間としてどれだけ成長できるか。自分の魂をどれだけ磨いていけるか。これも楽しみです。
2005.04.01
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昨日のワールドカップ最終予選「日本VSバーレーン戦」ですが、こちらの衛星放送UBCで夕方5時半からライブ中継がある予定で、お客さんに宣伝していたし自分も楽しみにしていました。日本のチームカラーに合わせて、青のアロハを着込んでいたくらいです。でも、どういうわけかプログラムが変更されて、日本戦のかわりに韓国戦がライブ中継されてがっかり。こちらのテレビは、予告なくプログラムが変更されることが時々あるのですが、よりによって大一番でやられてしまいました。うざっ。。。仕方がないのでスポーツナビ!試合速報で試合経過を追いかけました。タイで日本戦の中継がない時はいつもこれを見ているのですが、これはこれでなかなかの優れもの。試合経過をほぼリアルタイムで知ることができます。自動更新にしてあるから、次の速報に切り替わるまでの数分間、日本が点を取るかそれとも取られるのか、想像の世界でけっこう緊張します。日本が点をとると、モニターの前で一人でガッツポーズです。昨日の試合はオウンゴールでしたが、勝ちは勝ち。大事な勝ち点3でした。それにしても便利な世の中になりました。パソコンが普及する前は、日本戦の様子は日本の友達に頼んで国際電話で教えてもらっていましたから。海外に住んでいると、スポーツでの日本応援に熱が入ります。特にサッカー日本代表の試合を応援する時は、試合が終ると声が枯れてしまっていることもしばしば。オリンピックでも、日の丸が揚がったりすると「あぁ、頑張ったんだな。よかったね」と目頭がジーンと熱くなってきます。こういう時は、自分が日本人であることを自覚します。タイが好きでタイで暮らしていても、愛国心はなくしていないようです。(笑)
2005.03.31
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昨日の午後、臨月だった秘書のノーイが、帝王切開で無事に3600グラムの男の子を出産しました。今日の夕方、早速妻とお見舞いに行ってきました。ノーイは切開したところが痛むようですが、元気そうで安心しました。赤ちゃんを見せてもらったけど、可愛いですね。うるうるものです。こんなに小さな赤ちゃんが、息をして身体を動かすのを見ていると奇跡を目の当たりにしているような気がしてきます。ところで、3年前にノーイの最愛の父が亡くなりました。その時、お父さんの遺体を火葬する前に、お父さんが生まれ変わってきたらわかるように左足に墨で目印をつけておいたそうです。ノーイが妊娠した当初から、「この子はきっとお父さんの生まれ変わりだから、とてもいい子が産まれるよ」と彼女と話していました。そして今日初めて赤ちゃんの足を調べたら、ちっちゃな左足のひざのところに可愛いあざがありました!自分は信じます。この赤ちゃんは、ノーイのお父さんの生まれ変わりだと。ノーイは涙ぐんでいました。私も目頭が熱くなりました。徳が高くやさしかったノーイのお父さんのように、彼女の子供「ニュー」ちゃんはすくすくといい子に育っていくのでしょう。ノーイが無事にお母さんになったから、今度は私の妻の番です。私たちのところにも、元気な赤ちゃんが授かりますように。
2005.03.29
もうすぐ妊娠4ヶ月になる妻を、かかりつけのトンブリ病院に診察に連れていきました。つわりでなかなか増えなかった体重も、今回はようやく1キロ半増えていました。女医さんが、早ければ後一週間、遅くとも1ヶ月でお腹の赤ちゃんが動くのがわかるようになるでしょうと言ってくれました。9月の始めには、妻のお腹の中にいる赤ちゃんが産まれてくる。不思議です。日毎に自分の体型が変化していく妻は「怖い」と訴えます。「他の女の人が大丈夫なんだから、君も大丈夫だよ。」と慰めると「あなたは自分で産むわけではないから。。」と反論されます。そう言われると、返答に窮します。自分の身体の中に、新しい生命が宿っている。男には、想像するしかできないことです。ところで女医さんに、出産する時に立ち会いたいと申し込みました。でも、この病院ではやっていないからと断られました。以前には父親の立会いを認めていたこともあったそうですが、血まみれの出産場面に失神する父親が結構いたようです。ただでさえ医者と看護婦が忙しい時に、気を失った父親の面倒まで見るのは大変だからと立会いは断るようにしたようです。でも自分としては、たとえそれがどんなに生々しい光景でも、自分の妻が新しい生命を産む瞬間を一人の生物として見届けたいと思う気持ちが強いです。また折をみて女医さんにお願いしてみます。
2005.03.28
ワールドカップ最終予選、最大の山場のひとつイラン戦は、1対2で敗れた。試合が終った瞬間、竹亭に集まってくれた約120名のサポーター達の落胆のため息が竹亭を埋めた。最初から苦しい試合だった。みんなの応援の意気もあがらない。竹亭が一番沸いたのは、福西が同点ゴールを決めた時。でも、また勝ち越されて静まりかえった。負けたことは仕方がない。でも、一人のサポーターとして納得いかないのは、試合終了前の数分、我らが代表はもう試合を投げたかのように生気なく足が止まっていた。最後の一分一秒でさえワンチャンスで起死回生の同点弾が生まれる可能性はあるのに、ホイッスルが鳴る前にもう気持ちが負けていた。去年のアジアンカップで、最初2軍とさえ評された控え組中心の代表が優勝した時は、どんなに絶望的な状況でも決してあきらめずに、奇跡のような土壇場の逆転勝利を重ねていた。それに比べれば、欧州組中心の今日の代表はふがいない!!!今夜、集まってくれたたくさんのサポーターの皆さん。どうもありがとうございました。試合は負けましたが、見ず知らずの者たちがバンコクカオサンの竹亭に集い、熱い時間を共有できたことをとても嬉しく思います。そしてこの夜が、みんなの心の中に熱き思い出として末永く残りますように。次のバーレーン戦には、みんなで歓喜の雄叫びをあげ勝利の美酒に酔えますように!
2005.03.26
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近年、愛煙家への閉めつけがますます厳しくなっているタイランドですが、またやってくれました。以前から煙草の箱に喫煙の害を警告する文が大きく印刷されていたのですが、こんどはリアルな写真バージョンが登場しました。これでもあなたは吸いますか?マルボロライトの箱に、肺ガン患者の解剖写真が印刷されています。要するに死体写真です。胸部が大きく切開されて、ヤニで真っ黒になった肺を矢印で強調しています。タイ語のコピーは「煙草の煙は肺ガンを引き起こします」幸い自分は煙草を止めて2年ほどになりますが、この写真を見ながら煙草を吸ったらさぞまずいことでしょう。(笑)写真バージョンは全部で6種類ありますが、これが一番ショッキングです。楽天に載せる画像は一応小さくしておきました。この箱を、煙草を吸うスタッフに見せたらさすがにぎょっとしていましたね。煙草の害が一目瞭然でわかります。効果は抜群でしょう。ところでタイは、女性の裸やヘアー写真の規制は厳しいのですが、死体写真は新聞の一面にも平気で載っています。犯罪や事故で亡くなった方の無残な死体写真の専門雑誌もでているくらいです。この辺の感覚は、日本人には理解しがたいです。以前に本で、お坊さんが人間は死んだら皆こうなってしまうのだと悟るために死体写真を見る修業をすると読んだことがありましたが。日本人とタイ人の死生感にも違いがありそうです。
2005.03.23
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一週間前から産休に入っている秘書兼経理のノーイが、今日は調子がいいし家にずっといるのも退屈だからと出勤してきました。本当はおととい生れているはずなのですが、御覧の通りまだ大きなお腹を抱えたままです。 「ノーイ」タイの妊婦さんは、日本人や白人の妊婦さんよりお腹が大きくなるようです。生まれてくる赤ちゃんも3000~4000グラムぐらいあるのは当たり前。それから不思議なのは、こちらでは妊娠してから9ヶ月で出産です。日本は確か10月10日っていいますよね。同じ人間なのに、どうして妊娠期間が違うのか何人もの人に聞いてみたけど、いまだに理由がよくわかりません。ところで、二人でよく冗談を言うのですが、生まれてくる子供が彼女の夫ではなく私に似ていたらどうしよう?もちろん、私と彼女がそういう関係というわけではなく、お店で顔をつき合わす時間がお互いの伴侶より長いからです。日本の人にはわかりにくいかもしれないけど、タイ流のジョークです。ノーイの子供がもうすぐ生まれ、私の子供は9月に生まれます。同級生だし家も近いので、そのうち同じ学校に通うことになるかもしれません。その日が来るのが、なんだか楽しみです。それから、この日記を読んでくれていると思うキーマオさんにノーイから伝言です。「キーマオさん。お酒ばっかり飲んでいないでご飯もちゃんと食べてくださいね。心配しています。」とのことです。
2005.03.22
先程の友人との会話を、思い出し笑いしながらこれを書いています。数年来の女友達が、バンコクから車で3時間ほど南下したところにある海辺のリゾート地ホアヒンから電話してきました。親友と親友のBFと遊びに行っているそうです。彼女は24歳の色白でスレンダーな美人です。お酒も大好きな子で、以前はよく一緒に飲みに行きました。彼女を連れて歩いていると、周りの男たちからうらやましそうな視線を浴びることよくありました。彼女は性格も明るいしブラックジョークも大好きで一緒にいて楽しいのだけど、テンション高くてほっておいたら何時間でも一人でしゃべり続けている人です。(笑)聞いているのもいい加減疲れてくるから「お~い。そろそろ口がだるくなったんじゃないの?」とからかうと、アハハ!と笑いながら「まだー!全然大丈夫!」というノリです。そこでさっきの会話ですが、「海に入ろうかなと思って水着を見にいったんだけど、全然だめなのよ」「どうして?リゾート地だから高いのかな」「違う、違う。ビキニしか売ってないのよ。あんなの着て海に入ったら魚が10匹くらいショック死しちゃうわ!」つまり、自分がそれだけセクシーだって言いたいわけです。私は爆笑して、「大丈夫だよ。それより魚に笑われるなよ!」とからかい返してやりました。(長身だけど痩せているから、あるべき所にお肉があまりついていないという意味です)彼女も「ひどいわね。そこまで言う?」と爆笑してました。実はちょっとしたことで今朝は機嫌が悪かったのですが、お馬鹿な会話をしてたら直っちゃいました。(笑
2005.03.19
午前10時前にオフィスに着くと、まずノートブックの電源を入れるのが日課です。でも、今朝はなんだかいつもと感じが違います。スイッチを押した後、店の裏口のドアの鍵を開けに行って戻ったら、セーフモードで起動していました。昨夜、終了した時は正常だったのですけど。まず、スキャンディスクをかけてみたけどエラーは無し。そこでいったん終了して再起動したらまたセーフモードへ???今度はノートン・システム・ワークスで調べてみたけど、異常の原因は見つかりません。そのうちフリーズしてしまったので、スイッチを切って無理矢理終了して再起動。またセーフモード。フリーズして強制終了。そんなことを数回繰り返して、ようやく正常に起動できました。そこで、メールチェックするために接続しようとしたら、今度は(内蔵モデムを使っているのに)モデムが接続されていないというエラーがでました。何度繰り返しても同じです。そこで、とりあえず「システムの復元」を使って昨日の状態に戻してみたけど効果なし。最終的に、リカバリーディスクからモデムのドライバーを再インストールして一時的に使えるようになったのですが、そのうちまたモデムが行方不明になりました。もう一度再インストールしてみたけど効果なし。これはもう駄目だと思い、外付けのモデムを買うか、思い切って新しいパソコンに買い替えようと思っている矢先に、どういう訳かモデムが再び復活。それから正常に作動しています。結局、壊れた原因もいきなり直った原因も不明のままです。パソコンを使いはじめて約7年になりますけど、ずっと日本で買った日本語版のWINDOWSを使ってきたから、トラブった時にタイ人の専門家に修理を依頼できないのが不便です。いつもお世話になっている日系プロバイダー「フォンリッジ」の日本人担当者に電話をかけて相談にのってもらうこともありますが、それだけでは解決できないこともあります。やっぱり、そろそろ買い替え時なんでしょう。今度は自作のメニューにタイ語も入れたいから、日本語、タイ語、英語の3ヶ国語が使える環境のデスクトップが欲しいですね。時間ができたら、タイの秋葉原「パンティップ・プラザ」に下見に行ってきます。新しいおもちゃを欲しがる子供のように、なんだかわくわくしてきます。パソコンは、遊びがいのある高価なおもちゃです。ところで、パソコンの不調って思い切り疲れますね。素人が見よう見まねで覚えてきたから、トラブッた時の対処法がよくわからないし、困った時に相談できる人もほとんどいません。もちろん、パソコンの不調をきっかけにいろいろ調べて知識を増やせるわけですが、直るかどうかわからない、先が読めないという状況はストレスがたまります。人生でも一緒ですね。不安定で不安な時期に、どれだけ平常心を保てるかどうかで人間の器が測れるように思います。(自分はまだまだ小さいようです。要修行続行)
2005.03.18
15日の夕方、近くの駐車場に駐車していた自分の車に、他の車が不注意からひどくぶつかり左のドアがべコンと凹んでしまった。運転していたのはカオサン通りでCDを売っている女の子N。とりあえず、事故処理と修理のクレームをするため保険会社に電話しました。西日に照らされながら待つこと小一時間。オートバイでやってきた係員が両方の車の損害を調べ書類を作ってからわかったのは、相手の車の保険は去年の11月で有効期限切れ。結局、彼女が父親に連絡をとり、父親の友人がやっている自動車修理工場に車を持っていって、そこで彼女側の負担で修理をしてもらうことになりました。ところで、タイに住んでいる人ならよくわかると思いますが、こういう時、タイ人って自分が悪くてもまず謝りません。非を認めると、自分に不利になるとでも思っているみたいです。案の定、彼女も頑なな感じで「すいませんでした」の一言がありません。もちろん私も、店が忙しいのにこんなことで時間を取られて内心面白くないです。でも、自分も不注意から他人の車にぶつけて迷惑かけたことあるし、彼女に対しても「いいよ。事故だからしょうがない。人身でなくてよかったね」と終始穏やかに接するように心がけたのです。9年落ちの車が凹んだくらいでギャ-ギャ-騒ぐのもかっこ悪いし。(笑)そうしたら、彼女が変わりました。彼女のエネルギーの流れというかバイブレーションが変わったのがはっきり感じられたのです。さっきまでおびえるように頑なに心を閉ざしていたのが、私の彼女を責めない態度に安心したのか心を開いてくれました。ちょっと恥ずかしそうに微笑みながら、胸の前で両手を合わして「コー・トー・カ」(ごめんなさい)と謝ってくれました。レイキを始める前だったら、私も彼女の頑なな態度に反応して彼女を非難、攻撃していたと思います。でも、今日は平常心を失わずに愛の心で彼女と不測の出来事に対応することができました。自分で言うのもなんですが、気の短い私にしてはよくできた!と思います。(笑)ところで、彼女と保険会社の人を待っているとき、宝くじ売りが通りかかりました。普段は買わないのですが、車がぶつけられたのだから(当てられたのだから)、宝くじにも当たるかもしれないなと半分しゃれで2枚だけ(200バーツ、約550円)購入したのです。そして昨日が抽選日。当たりました。一枚だけですが下二桁(03)が当選。賞金は2000バーツ(約5500円)。当たるような気はしていましたが、本当に当たりました。こんなことって本当にあるのですね。(笑)今夜は賞金で、ギンギンに冷えたビアシンでも飲みましょう。
2005.03.17
3月も半ばとなると、タイ人達はどことなくそわそわし始めます。なぜなら、来月の13,14,15日は「ソンクラーン」と呼ばれるタイ正月を祝うお祭りで、都会に働きに来ているタイ人達の多くが一斉に懐かしい故郷に帰省する時期でもあるからです。この祭りは別名「水かけ祭り」とも呼ばれ、相手構わず無礼講で水をかけあうお祭りです。カオサン通りは水鉄砲の激戦場と化し、1歩足を踏み入れただけで四方八方から水が飛んできて10秒以内に全身ぐしゃぐしゃになります。でもこの時期は一年でいちばん暑い季節でもあるから、水をかけられてもすぐに乾いてしまいます。ソンクラーンこの3日間は、学校会社役所も全てクローズ。鉄道、バス、飛行機等の交通機関は大混雑ですが、いつも交通渋滞のバンコクはこの3日間だけはゴーストタウンのように道路ががらがらになります。竹亭も3日間お休みします。開けていても、食事をしたいお客さまが無事に店まで辿り着くことが困難ですから。私と妻は、妻の実家のあるプラチュアップキリカンへ行く予定です。本音を言えば、この3日間を静かなバンコクで酒を飲んでは眠り、目が覚めたら本を読み、暗くなったら食事がてらまた飲みに行って3日間を過ごしたいのですが、妻の両親が4人の兄弟姉妹が集まるのを心待ちにしているので行ってきます。郊外へ出る幹線道路も大渋滞するのがかったるいですが、たまには仕事を忘れて蒼い海と空のなかでリラックスするのもいいでしょう。こんなことを書いていたら、ソンクラーン休みが楽しみになってきました。ところで、この時期にタイに滞在される予定の方は。びしょ濡れになりますので覚悟しておいてください。いくら嫌がっても、外出する限り逃れることはできません。どうせ濡れるのなら、自分も水鉄砲を用意して戦闘に参加して楽しんじゃいましょう。たまには童心に帰るのもいいものです。ちなみに水鉄砲は、ポンプつきの大型のほうが戦闘力が圧倒的に高いです。私が愛用している銃は、M-1型。数メートル先のターゲットに確実にヒットします。あと一ヶ月で、タイはまた誰も死なず誰も血を流さない戦場になります。
2005.03.15
昨日の午後、食事に見えた日本人男性。数年前に何回か竹亭に来てくれたことがあるそうで、私に「太りましたね。」と声をかけてくれました。彼は、昼間からビールを飲んでつまみを頼み、しめはすきやき定食。漫画とか読みながらのんびり食事を楽しまれています。少し酔いがまわったのか、彼が一人で話し始めました。「ご存知だと思いますけど、日本は不景気で大変です。自分は40過ぎでもう仕事が見つかりません。日本にいてもお金がかかるから、安く過ごせるタイに旅行に来ているんです。」私は返答に困って「しっかり充電してください。」と話をあわし、彼の職業を尋ねたらある分野の職人さんとのこと。職人さんなら、不景気でも何とかつぶしがききそうなものですが、彼の場合は大変なようです。タイに来て、旅行だから毎日が休日、ビールも大っぴらに真昼間から飲めます。はたから見れば優雅なものですが、人それぞれいろいろあるのですね。自分だって、もし日本に引き揚げたら仕事を見つけるのが大変でしょう。それでも何とかなるでしょうけど。何とかならなくても、なんとかしますけど。自分は。なぜなら、自分はたったの41歳。ありがたいことに健康だし、それなりの経験もあるし、今からやりたいことが何でもできます。自分がやりたいと思うことは、すべて実現する可能性のあることです。なぜなら、人は実現不可能なことをやりたいとは絶対に思いません。狂人でもない限り。まともな人なら、41歳になってからJリーグの選手になりたいとか、アメリカ大統領になろうとは思わない。(笑)自分は今やりたいことがあります。いろいろと解決しなければならない問題がたくさんありますが、一つずつクリアしていき、実現に向かっていきます。心の中では、もう現実化したような気にさえなっています。苦しくて疲れて根をあげたり、切れて周りの人にあたってしまう事もあるかもしれないけど、1歩後退しても立ち上がって2歩前進します。今日来てくれた日本人男性。きっと休養が必要な時なのでしょう。微笑みの国タイでしっかり癒されてください。気分が変われば、世界の見え方も違ってきますよ。きっと突破口が見つかります。
2005.03.14
今朝、バンラック区役所にて入籍届けを出してきました。ちなみにバンラックとはタイ語で「愛の家」という意味で、毎年バレンタインデーにはここで入籍届けを出すカップルが大勢押し寄せることで有名です。でも、今日は普通の日の早朝だから我々の他には、タイ人のカップルとタイ人と白人のカップルの2組がいただけ。手続きは小一時間で終わり、結婚証明書を交付してもらい手数料の20バーツを支払って私とユンは法的にも夫婦となりました。後は書類をそろえて日本側に届けを出すだけです。さて、入籍した感想ですが特になし。(笑)結婚式は去年の11月に挙げてあるし、年も42歳ですから。彼女は嬉しそうでしたけど、私は「あ~あ、もうふらふらできなくなっちゃった!!」と大げさに嘆いてみせました。さて、正式に入籍したささやかなお祝いに、シーロム通りのUNITED CENTER BILUDINGの1階に入っているフランス系ベーカリー&カフェ「DELIFRANCE」に朝食を食べにいきました。ここのパンやサンドイッチ、珈琲は美味しいのです。カオサンは白人がたくさん集まるのに美味しいパンを食べさせる店が皆無で、美味しいパンにはいつも飢餓状態。落ち着いた感じの店内では、ビジネスマンやビジネスウーマンが新聞を読みながら遅めの朝食をとっています。当たり前だけど、ここはビジネス街だからカオサンみたいに上半身裸で歩いている白人もいないし、みんなきれいな格好をしていて逆に新鮮に感じられます。(笑)スモークサーモンのサンドイッチ、ツナサンドイッチ、シーザーサラダ、珈琲、オレンジジュースを頼んでゆっくり朝食を楽しみました。値段は高めだけど、量もたっぷりだし普通に美味しいから納得です。さあ、今日からまた新たな気持ちで、女房と生まれてくる子供のために頑張りましょう。
2005.03.11
今日、カオサン通りに一人の初老の乞食が座っていた。彼の顔は、過去にひどい火傷でも負ったのか目も鼻もほとんどつぶれている。彼はBUDDY LODGEの祠の前に座り込んで、両手を合わせて一心不乱にお経を唱えている。普通の乞食のように、哀れっぽく同情をひこうとしてお金をせがむわけではない。ただ目を閉じて、背筋を伸ばして、経をあげている。カオサンには場違いな光景だった。その姿は、乞食というより気高い修行僧のようだった。日頃、自分は乞食にお金を恵むことはあまりしない。たくさんいすぎてキリがないし、乞食にお金をあげても、”売上”は乞食を仕切るマフィアの懐に入るだけだという新聞記事を読んだことがあるせいもある。近くのセブンイレブンの前には、毎日のように買い物客のお釣りの小銭をせびろうという乞食が待ち構えたりしているが、これも一切無視している。本当に心が動いた時だけ、喜捨をする。ちょっとした用事に出かけて彼を見かけ、帰りにもまた会ったのでジーンズのポケットの小銭を探った。私の前を歩いていた白人男性が、すっと身をかがめて乞食の前に置かれたプラスチックカップにお金を入れた。私も彼に続いて10バーツコインをカップに落とし込んだ。とその時、カップの底に赤い100バーツ札が見えた。あの白人の喜捨に違いない。アッと思ったがもう遅い。彼も乞食の気高さに感動して喜捨をしたのだろうが、彼は100バーツあげて私は10バーツ。こういう事は、気持ちの問題で金額の大小の問題ではないだろうけど、なんだかかっこわるかった。無駄使いはほかで幾らでもしているのに、わずかな金額を惜しんでしまった。恵み与える者こそ、喜びという報酬を得ると知っていながら。。。自分のせこさを見てしまいました。(苦笑)今日は乞食と喜捨をした白人から、与えるということについて考えさせられました。
2005.03.09
3月のカオサンは、春休みや卒業旅行の日本人学生がたくさんやってきます。といっても、今年は津波の影響もあるようでいつもの年より少ないみたいです。いつもは白人客の多い竹亭も、この時期の主役は学生さんです。友達同士で来た連中は大騒ぎしながら大飯をかっくらっていくし、一人で来た奴は静かに漫画を読みながら食事していってくれます。たまには、竹亭ガールズの一人に恋をして通う奴もいるのですが、はたから見ていて気の毒なほど緊張していてろくに声もかけられない。まだ純情なんですね。私も彼らくらいの年の頃は、こっそり好意を寄せている女性やきれいな女の人を目の前にすると、ただそれだけでがちがちに緊張してしまったものです。年齢と経験を重ねすっかり図々しくなった今は、誰にでも気軽に声をかけることができますが。でも、若いっていうのは、それだけで魅力的ですね。生き生きと生命力に溢れている。輝いています。本人は、これからどんな風に人生を生きていくのかと不安なんでしょうが、それは皆が通り過ぎること。私もそういう時期がありました。でも、何とか今でも生きています。何とかなるもんですね。現代の若者に関する新聞や雑誌の記事を見ていると、ろくでもない奴ばかり見たいな論調もたまにありますが、竹亭に来る男の子や女の子は素直で可愛い奴がほとんどです。大きな声で「ありがとうございました。ごちそうさまでした!」と挨拶してくれたりして気持ちがいいです。たまには無礼者もいますが、それは本当に少数ですね。彼らにとって、旅の一日に竹亭で日本食を食べたことが素敵な思い出になってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。
2005.03.06
コメント(13)
去年の大晦日から、竹亭はずっと忙しい日々が続いています。たくさんのお客様に来ていただいて本当に有難いことですが、時として大勢のお客様が短時間に集中して入店されると、キッチンもサービスも対応が追いつかずにパンクすることがあります。今夜もそうでした。以前から比べれば、仕事の能率やスキルはあがっていますが、それでもお客様には迷惑をかけストレスを与えてしまいます。そんな時に来てくれたお客様には、本当に申し訳ないと思います。みんな必死にやっているのですが。。。仕事は結果がすべてです。スタッフだけを責めることはできません。なぜなら、自分自身も心の余裕を失いあたふたしてしまいますから。自分はよく「橋本さんはいつでもニコニコしていますね。感じがいいですね。」と誉められます。自分では特に意識はしていませんが、そう言ってもらえるということはたぶん得な性分なのでしょう。でも、実際の自分は全然違います。とても短気だし、すぐにいらいらします。瞬間湯沸し機みたいに切れます。忙しい日が続き、身体も心も疲れが溜まっているのも原因だけど、自分の仕事の質が落ちてきているのを自覚します。お客様に来ていただいて本当に有難いことなのに、接客が雑になってきています。お客様にうるさい!うざったい!と思うことさえあります。今夜も、とても忙しかった時間帯に他のお客様の迷惑を考えないお客様がいて、一瞬のうちに切れてそのお客様を強い言葉で非難し、首を左右に振って思い切り不快感をあらわにしました。プロとして恥ずかしいことです。レッドカードに値する愚かな行為です。彼に悪気があったわけではないでしょう。ただ、他の人のことまで思いが及ばなかっただけでしょう。それなのに、頭ごなしに自分が食事に来ているレストランの店長に怒られてさぞ口惜しかったと思います。自分は、もっと穏やかに相手に事情を説明して、理解を求めることだってできたはずです。でも、一瞬のうちに切れてしまいました。そのお客さんは2度と竹亭には来てくれないでしょう。あちこちで「竹亭のマスター、すげぇーむかついた!!」と言いふらしてくれるかもしれません。仕方がありません。自分の未熟さがまいた種です。自分の愚かな行為が、招いた結果、カルマです。現在の自分は、リソース値がとても低くなっているようです。また、フリーズしてしまいました。クリーンアップして、デフラグかけて、スキャンして再起動したほうがいいようです。明日から、初心を思い出して新たな気持ちで頑張ります。
2005.02.27
先日、店を夜10時過ぎにあがって、妻とソイ・トンローの有名な老舗居酒屋「T」へ食事に行ってきました。私は以前からこの店が気に入っていて、今でもたまに足を向けます。この店を一言で表現すると、店主の熱気が伝わってくる店です。料理、メニュー、内装等、常に試行錯誤しながら進化しようとしています。竹亭とはスタイルや客層が違う店ですが、いつも刺激を受けて帰ってきます。盗めるアイデアがあれば、竹亭にあわせてアレンジして頂いてきます。その夜も二人でたくさん料理を頼み、ビールも飲んで、疲れを癒しました。(二人とも大食いです。笑)「商い」は「飽きない」に通じ、店主が飽きて熱が冷めたら、その店はどんどん衰退するだけです。店主自身が、開店した頃の初心を忘れることなく、熱気とモチを維持しさらに高めていくことが肝要だと自分に言い聞かせています。それにしてもこの年になってつくづく思うのは、自分で自分を律しコントロールすることの難しさ。年をとればとるほど、自分の至らなさや未熟さが見えてきて、後で冷静になった時に穴があったら入りたくなることよくあります。きっと一生、そんなことを繰り返すのでしょう。でも、1歩後退しても2歩前進を目指したいですね。
2005.02.23
アソークにある日本大使館領事部に行く時は、交通渋滞に巻き込まれたくないから地下鉄を利用します。まず、自宅から車でカオサンに来て駐車して、それからタクシーでホアランポン駅まで行って、そこから地下鉄に乗り換えます。地下鉄に乗っていつも感じるのは、タイらしくない重苦しい静けさ。乗客も私が乗る時間帯は少ないようですが、おしゃべり好きのタイ人が、ほとんど誰一人口をきかずにむっつりと押し黙って地下鉄に揺られています。駅名を告げるコールと「列車とホームの間のすき間にご注意ください。」というアナウンスだけが、大音量で無機質に響いています。私の前の座席に座っている乗客を眺めていると、神経質そうに眉をひそめている人、居眠りをしている人、膝の上で本を読んでいる人などなど、みんな感情を押し殺して仮面をかぶっているようで、東京の地下鉄に乗っているような錯覚がしてきます。これで、駐在のネクタイ姿の日本人ビジネスマンが読売新聞でも読んでいたら、本当に自分がどこにいるのかわからなくなりそうです。(笑)タイの地下鉄は、東京のそれよりも揺れが少なく走行音も静かです。先日、ヒューマンエラーから大事故を起こしましたが、乗り心地は東京の地下鉄より快適でしょう。でも、地下鉄ですから車窓の外はどこまで行っても闇。駅以外はひたすら闇の中を、轟音を上げながら走っています。考えてみれば、閉塞された不思議な空間ですね。闇の中に、もののけの類が潜んでいてもちっとも不思議でない気がします。地下鉄に乗ると陽気なタイ人でさえ寡黙になってしまうのは、地下の闇に潜む言葉では説明できない閉塞感と不安感から、ある種の危険な匂いを本能的に感じているのかもしれません。そんな人々の思惑には関係なく、バンコクは今日も喧騒の中で一日が暮れていきます。
2005.02.17
昨日のワールドカップ予選「日本 VS 北朝鮮」戦は、新星”大黒”の終了間際の劇的な勝ち越しゴールで幕を閉じました。 代表戦の放映がある時は、いつも竹亭に大勢のサポーターが集まってきてみんなで応援するのが恒例です。昨夜は約90人のサポーターが店内を埋め尽くしてくれて、大いに盛り上がりました。 「応援風景」昨日の試合は引き分けムードが強かったけど、アジアカップの時から日本の神がかり的な土壇場の勝負強さを見てきているから、私は必ず勝つと信じていました。 そして試合終了2分前に大黒のゴールがネットを揺らした瞬間、お客は全員総立ちとなり、両拳を頭上に突き上げ、雄叫びをあげ、ある者は隣の奴と抱き合い、ハイタッチを繰り返し、歓喜を全身で表しました。繰り返し起こる大歓声に竹亭が揺れました。 試合が終った後も、しばらくは「ニッポンコール」と手拍子が鳴り止まず、さらに「大黒コール」が始まり、我らが代表の勝利の喜びをみんなで分かちあったのです。かくいう私も、大声を出しすぎて喉がかれてしまいましたけど。(笑)たまたま入ってきた白人客が、日本人が集団でエキサイトしている光景にびっくりして目をまん丸にしていました。 サッカーって不思議です。どうしてこんなに熱くなれるのでしょう。まったく知らない者同士が、心をあわせて代表に声援を送り、さっきまでまったく知らなかった者同士が、日本のゴールに喜びで顔をくしゃくしゃにしながら10年来の友人のように肩をたたきあう。 そんな彼らを見ていると、竹亭をやっていてよかったなと思います。今夜、竹亭でみんなで代表を応援したことが、きっとみんなの心の中にいい思い出として長く残るのだろうなと思うと、店主冥利に尽きます。 アジア予選はまだ始まったばかり。これからも、代表の勝利への気迫と気迫に満ちた戦いが、我々の心にも熱い炎を灯してくれることでしょう。 頑張れ!日本! 追記。みんなが躍りあがって喜んでいるところを写真を撮ればもっと雰囲気が伝わるのですが、自分も一緒に我を忘れて喜んでいたから写真は撮れませんでした。(笑)
2005.02.10
2日の夕方5時半より、亡くなったおばあちゃんの魂を冥界にお送りする中国式葬儀「コン・テク」が盛大にとりおこなわれました。儀式は深夜12時までかかると妻の母より聞かされていて半信半疑でしたが、実際に式が終了したのは午後11時半。本当に長い儀式でした。6時間がかりでした。この式には約100人の親族親戚が集まったのですが、まず20人ほどの直系の親族が中国式の麻のぶかぶかのズボンと羽織の衣装に着替えて麻の頭巾をかぶります。私を含めたその他の親族親戚は、白装束です。その光景は、日本人の感覚でいえば、平安時代の装束みたいでお祭りでも始まりそうな雰囲気です。中国の神様の絵を祭った大きな赤い祭壇の用意もすみ、いよいよ儀式が始まります。珍しいのは、祭壇の両端に鉦、笛、弦楽器、太鼓を持った楽団がひかえていて、彼らが奏でる中国風の調べにあわせて祭壇の前に立った9人の中国寺僧がお経を歌うように唱えるのです。というかまさに歌っていました。歌のお経をしばらく唱えると、音楽がやんで今度は普通のお経になります。時間にして40分以上かかり、それが終ると15分ほど休憩してまたお経が始まり、それが3回ほど繰り返されました。その後は、おばあさんの魂が宿ったのぼりを先頭に、天国へ続く橋をお坊さんの後をついて計24回渡る儀式を繰り返しました。その他にも、様々な儀式を幾つも丹念に繰り返し、いよいよ最後の儀式に入ります。それは、天国へ行ったおばあちゃんが天国で不自由しないように、紙で作った様々な品物を燃やして天国に送る儀式です。その品物とは、大邸宅、車(ベンツ)、たくさんの金の延べ棒、指輪やネックレス、タンス、ベッド、机、イス、物入れ、使用人、化粧品、携帯電話などなど、大きな焼却炉がいっぱいになる量です。そして、読経の声と共に火が放たれました。紙製の贈り物はたちまち激しく燃えさかり、焼却炉の煙突から炎がジェット戦闘機のバックファイヤーのように轟音をたてて噴き出し、そしてあっけなく燃え尽きました。今夜、おばあちゃんの魂は、たくさんの贈り物と一緒に天国に旅立っていったのです。日本でも、友人のお坊さんがおばあちゃんのためにお経をあげてくれたそうです。どうもありがとうございました。遺影のおばあちゃんは、とても優しい目をして微笑んでいます。今夜、おばあちゃんの魂はここに来ていて、儀式を見ていたのでしょうか。私にはよくわかりませんが、こんなに手厚く弔ってもらってきっと喜んでいるでしょう。今夜はさすがにくたくたになりましたが、華僑の親を敬う気持ちの強さに改めて感じるところが多かったです。自分ももっと親孝行しないといけないなと思いました。深謝合掌。
2005.02.04
今夜、Yさんという数年来のお客さんと話していたら、今帰ったお客さんは、日本の有名な格闘家、PRIDEの金原弘光さんだと教えてくれた。 さっき食事を終えて帰られたそのお客さんは、ここ最近何回か見えている方だが、独特の風貌とごっつい身体が印象に残っている人だ。Yさんに教えてもらって、早速ネットで検索したらすぐに見つかりました。 ひゃー本当だ。(汗)でも、さすが格闘家ですね。Tシャツ着て「すきやき定食」食べている姿より、裸で腕組んでるほうが全然かっこいいです。 Yさんが教えてくれなかったら、まったくわかりませんでした。これも何かの縁でしょう。もし、テレビかなにかで試合を見る機会があったら、魂込めて応援させていただきます。 今日のもう一つの出来事。午後1時過ぎ、突然キッチンとトイレが断水しました。 竹亭はNANA PLAZA INNというゲストハウスの1階に場所を借りて営業しているのですが、急いでフロントに調べてもらったところ、屋上で改装工事をしていた業者の人足が、不注意から鉄材を水道のパイプの上に落として継ぎ目部分が割れてしまったとのこと。 やってくれます。。。レストランは、水、ガス、電気のどれか一つでも欠けたら営業することはできません。 ゲストハウスのエンジニアにすぐに来てもらったのですが、今日は日曜日だから補修交換用のパイプを売っている店は休みです。とりあえず、バーの水道は別ラインで生きているから、そこからバケツでキッチンに水を運べば急場はしのげますが、それでも忙しい時間帯は間に合わなくてパンクするのは必至です。 でも、ついていました。ゲストハウスのエンジニアが、物置の中から古いパイプの継ぎ目部分を、一つだけあったと探し出してきてくれました。 無事に修理が終わり水が正常に流れ出しはじめたら、さっきまで静かだった店にお客様が何組も同時に入ってきてくれました。パニックっていたさっきではなく、水が復活した今、来てくれてグッドタイミング!です。ついてます!!
2005.01.31
カオサン通りの西はずれにある警察署の向かいに、ワット・チャナソンクラムというお寺があります。学問寺として有名なお寺だそうで、午前中はタンブン(お坊さんにお供え物をして徳を積む)とお参りにくるタイ人で賑やかですが、午後はとても静かになります。私は時間が空くとこの寺にやってきて、本堂にしばらく座るのを日課にしています。 「本堂」深くゆっくりと呼吸して、心をすましていると、やがて夜の帳が下りてくるように瞑想がやってきます。時間にして15分から30分だけですが、自分をスローダウンさせバランスを回復する大切な時間です。自分は座っていても頭の中は雑念だらけで、深い瞑想にはなかなか入れませんが、瞑想をすると毎日の生活と出来事で消耗した心と体が休まります。時には座ったまま、意識がとんで眠りに落ちこむこともあります。はっと気がつくと、頭がすっかり軽くなっています。瞑想はせずに、ただ金色の本尊を見つめながら考えごとをすることもあります。この本堂は、一人になって自分を取り戻す大切な場所です。
2005.01.29
昨日は仕事を半日休んで、妻とスクンビットに買物に行きました。まず午前11時過ぎ、ソイ5の「フードランドスーパー」で、店で売るワインや洋酒その他の買物をしました。バンコクでは条例で、午前11時から午後2時それから夕方5時から深夜12時までしか小売店でお酒を買うことができません。だから、お酒を仕入れるのは時間を見計らって行かなければなりません。次の目的地はソイ12のスクンビットプラザ。でも、地下鉄衝突事故以来、地下鉄の運行が停止しているためスクンビット通りは交通渋滞がさらに悪化していて、車の列がずぅーと向こうのほうまでつながっているから、車はスーパーの駐車場に置いておいて歩いていくことにしました。スクンビットプラザというビルは、韓国料理、韓国食材店、その他韓国系のお店がたくさん集まっているコリアンタウンです。ここで買うのはコチジャン(韓国の辛し味噌)これは竹亭で出しているスパイシーツナロールに使います。うちのスパイシーツナロールはくせがあるけど、白人やタイ人のお客さんに人気があります。「スパイシーツナロール」ところで、そろそろお腹が空いたので妻と相談して、12月30日の日記でちょっと触れたソイ2にあるJR MARRIOTT HOTELの日本食レストラン「TSUNAMI」に行ってみることにしました。この店はオープンしてまだ半年くらいだと思うけど、タイで初めてというSAKE BARがあり、夜にはDJも入ってクラブのようになると雑誌で取り上げられているのを見たことがあります。店内は、SAKE BARをはさんでTSUと名付けられた和食席とNAMIと名付けられた鉄板焼コーナーに分かれています。モダンで高級感溢れる内装で、BGMはトランスです。 私と妻はTSUのほうに座りました。ちょうどランチメニューがあったので、津波弁当(380バーツ)、天ぷらそば定食(250バーツ)、海鮮定食(ちらし寿司300バーツ)、野菜サラダ(200バーツ)を注文しました。 味のほうはだしが薄いなと感じましたが、刺身のネタはとても新鮮で美味しかったです。盛り付けやお皿なども工夫されていて勉強になります。ネタケースを覗いてみると、うに、あわび、殻付きの赤貝、ほたて、とり貝、とろ、はまち、ひらめなどなど高級ネタで埋まっています。お好みで注文したら、軽くつまんで軽く飲んで一人3000バーツくらいはすぐにかかりそうです。物価の高い日本からネタを空輸していますから無理もないですが。 私はヒマさえあればあちこち食べ歩くのが大好きですが、これはレストラン経営者としての大事な勉強であり自分への投資でもあります。その店のいいところからヒントをもらえるし、悪いところは反面教師になります。たとえ屋台での食事でも、学べることはたくさんあります。おいしい勉強です。 もっと時間があれば、もっともっと美味しい勉強に行けるのですが。。。追記お店のスタッフに、本当に津波が起こったことでお客さんが減ったりしましたかと尋ねてみたら、津波前も津波後も客足に特に影響はなかったそうです。でも、地下鉄事故で道がさらに混むようになったので、お客さんが少なくなったと言っていました。
2005.01.24
昨日は煙草の話になったから、今日は私の禁煙法について書いてみます。私も過去に何度も禁煙しては挫折して、また吸い始めてしまうことを繰り返してきました。でも、今回の禁煙は約2年間といちばん長く続いています。吸わないと身体にいいだけでなく、精神的に煙草から解放されてとても楽ですね。さて、禁煙を始めるに当たって一番大切なのは、禁煙をスタートする動機付けです。私の動機は、現在の妻と交際を始めたことでした。タイの女性は煙草が嫌いな人が多いのですが、彼女もそうで煙草の煙で頭が痛くなってしまうと訴えられたのです。恋愛の初期で二人の信頼関係を築いている最中でしたし、自分も高校生の頃から煙草を吸っていて喫煙がいい加減しんどくなっていた時なので、これを機会に煙草を止めると宣言し、彼女にも協力を頼んだわけです。といっても突然ピタリと止める自信はないから、一日約20本吸っていたのを時間をかけて本数を段階的に減らすようにしました。煙草を吸わない時間を少しずつ長くして、ニコチン依存度を少しずつ減らすようにしました。つまり今日18本吸って平気だったら、明日は17本、明後日は16本、3日目は15本という具合です。それがそのうち5本になり、4本になり、3本になって、約1ヶ月後に一日中吸わないでいることが出来るようになりました。ところで彼女に頼んだ協力とは、毎晩彼女に今日は何本吸ったかを報告して彼女に「すごいわねー」とか「頑張ったわね」と誉めたり励ましてもらうことです。これで挫折したらかっこ悪すぎるから、吸いたくなっても我慢できたわけです。そして、はい。口説いている女性の歓心を買おうという下心も見え見えでした。ところで、吸いたくなった時の我慢の仕方ですが、ちょうど友人が禁煙用のニコチンパイプをくれたのでそれを吸ってごまかしたり、冷たい水を飲んだり、仁丹をたくさん食べたりしました。仁丹を5,6粒位も一度に噛み砕くと、口の中がひりひりして煙草どころでなくなります。それから経験的にわかってきたのは、煙草を吸いたいという衝動は、頭の中が煙草でいっぱいになってしまうくらい強烈ですが、それが続くのはほんの数分だけだということです。その数分さえ耐えることができたら、吸いたい衝動は波が引くように去っていきます。今でも怒ったりイライラすると、口の中にねちゃねちゃとしたニコチンの味が蘇ってきて無性に吸いたくなることありますが、前ほど強烈な衝動ではなくなりました。お酒を止めることはなかなかできないけど、禁煙だけはずっと続けていこうと思っています。煙草を止めると、人生がそれだけシンプルになります。
2005.01.15
スモーカーは、タイでもますます肩身が狭くなりつつあります。大の煙草嫌いのスダラット女史が保健省大臣に就任してからというもの、締め付けは厳しくなる一方。最近ではテレビで放映される外国映画などで喫煙シーンがあると、タバコの部分にぼかしが入るようになって何事かと思いました。エッチシーンやヘアじゃあるまいし。。。(笑)煙草の箱には「喫煙するとインポになります」とか「喫煙すると心臓病になります」とかの脅し文句が大きなフォントで明記してあるし、エアコンの入った密閉された公共施設、レストラン、オフィス、デパート、映画館等は2年前から全面的に禁煙になっていて、違反すると喫煙者に罰金2000バーツ、お店側には20000バーツの罰金が科せられます。ただし、エアコンが入った公共施設でも、ディスコ、パブ、バー、ゴーゴーバーなどのエンターテイメント施設は喫煙することができます。なぜなら、子供が出入りする場所ではないからです。竹亭も店内は禁煙になっています。禁煙条例が施行された時は、お客さんから苦情がでるかと思ったけど、意外とみなさん素直に納得してくれました。まれに例外もありますけど。日本酒に酔ったフランス人が「去年は吸えたのだから、俺は今年も吸う」と頑張られたことがありました。「今、警官が入ってきたら罰金2000バーツですよ」と説明しても、「構わん。払ってやる」と意地になっています。「それなら、うちの罰金20000バーツも払ってくれますか」と訊ねたら、しぶしぶ火を消しましたけど。(爆)ちなみに私は約2年間ほど禁煙中です。今でも怒ったりすると吸いたくなりますけど、強迫的な喫煙衝動から自由になれて楽ですね。
2005.01.14
昨夜は楽天日記の先輩はるる!さんとまもあんさんが竹亭でオフ会をしてくれました。不思議なものですね。楽天でプログをしていなかったら、まず会うこともないだろう人たちと出会うことができます。初対面なのに、彼らの日記を読んでいるからいきなり親近感が沸いてきます。以前にワッキ-さんが来てくれたときもそうでした。チャットで知りあって結婚する人がいる時代だから、ネットで知りあって人の縁が広がっていくのも自然なことなのでしょう。でも肝心なのは、どういう方法で出会ったかということではなく、出会ってからどういうお付き合いしていくかということ。この世で出会う人は、偶然出会うのではなく、すべて出会うべくして出会い意味があるという考え方があります。自分は単純にその通りだと信じます。たくさんの出会いが、自分にたくさんの学びを与えてくれます。しかも、とても幸運なことに自分はいい人とばかり出会ってきました。限りあるこの命。いつか必ず訪れる今生の肉体の死。先のことはわからないけど、今この瞬間ベストを尽くしたいですね。後悔することはたくさんあるけど、生きていれば今この瞬間からリスタートできます。なんとかなります。有難いことです。
2005.01.13
遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。本年も「カオサン竹亭日記」をどうぞよろしくお願いします。そして、すべての人に最善のことが起こりますように。今日はもう1月3日。例年通り、ばたばたとお客さんを迎え、楽しんでいただき、自分は仕事の合間を縫って親しいお客さんとビール、日本酒、焼酎と酌み交わしていました。大晦日の夜は、恒例の「NHK紅白歌合戦」を放映して大勢の日本人が集まってくれました。日本にいたら紅白なんか見ない人が多いと思うけど、バンコク、カオサンで見る紅白は絢爛豪華で、タイにいることをしばし忘れて楽しめます。嬉しそうなお客さんの顔を見るのは、店主の至福の時間でもあります。また、プーケットで津波に遭ったけどヤシの木にしがみついて生還したという白人女性が、BFと親友の3人で竹亭にやって来て「生きているってなんて素晴らしいんでしょう!!またこうしてみんなで会って、お寿司を食べてお酒が飲めるのよ!!」と両手を広げて盛り上がってました。まったくその通りですね。死んでしまったら何もできないし、やり直すこともできません。恒例の深夜12時のカウントダウンと、大砲のように響き渡り夜空を彩る花火は自粛でなんとなく寂しいニューイヤーイブでしたが、普段は深夜1時までしか営業が認めていられないバー、ディスコ、カラオケ、ゴーゴーバーもこの夜ばかりは、朝の6時まで特別に営業が許可され賑わっていたようです。また新しい一年が始まりました。竹亭は、今年も一人でも多くのお客さんに喜びハッピーになっていただけるよう頑張りますので、変わらぬご支援のほどどうぞよろしくお願いいたします。店主敬白。
2005.01.03
市場にほうれん草が並ぶようなると、乾季の到来を実感します。ハウス栽培で一年中ほうれん草が食べられる日本と違い、タイでほうれん草が食べられるのは気候が涼しくなるこの季節だけなのです。昨日から、竹亭で新メニューを8品投入しました。・ほうれん草胡麻あえ・ほうれん草ベーコン炒め・ほうれん草玉子とじ(ほうれん草を甘辛く煮て、海老の天ぷらと卵でとじました)・おでん・カニカマ磯辺揚げ(カニカマと、海老とカニのすり身を海苔で巻いて揚げました)・蓮根はさみ揚げ(さくさくした蓮根に海老とカニのすり身を詰めて揚げました)・舌平目バター焼き・ミックスシーフードフライの8品です。店長のイチ押しは、もちろんほうれん草。今が旬です。新鮮でしゃきしゃきしていて栄養豊富。野菜不足になりがちな旅行者の方には特に食べてもらいたいですね。ほうれん草玉子とじちなみに、私はタイ料理を食べに行くと、ほうれん草をにんにくとオイスターソースで炒めてもらいます。ビールを飲みながら、ほうれん草をもりもりと食べるのが大好きですね。もうひとつのお勧めはおでんです。おでん季節柄、南国タイとはいえ朝晩冷え込んだりしますから、おでんの優しい味が身体も心もあっためてくれます。最近は、タイ人でもおでんを知っている人が増えてきました。お客さんの顔を思い浮かべながら、新しいメニューを考え、料理長とレシピを工夫し、実際にお出しして反応を見るのは楽しいものです。「美味しい!」と喜んでもらえると我々もとても嬉しいし、予想に反してあまり受けなかったりした時は、それはそれでいい勉強になります。タイで長く暮らしていると、常夏の国とされているタイにも季節があるのがわかってきます。それを知らせてくれるのは、それぞれの季節の野菜や果物であり、木々や花であり、激しい雷雨であり、様々なお祭りです。そして毎日が淡々と過ぎていき、もうすぐまた新しい年がやってくるのです。
2004.12.22
今年もまた、クリスマスがやってきます。敬虔な仏教国タイでも、すでに一週間も前から街はクリスマスムードです。クリスマスツリーを飾ったり、デパートやお店、レストラン・バーの従業員が赤いサンタ帽を嬉しそうにかぶっています。もちろんクリスマス&ハッピー・ニュー・イヤーのセールスも全開モード。この国の人たちはお祭り騒ぎが大好きです。クリスマス、ハロウィーン、バレンタインデーと仏教に関係なくてもしっかりと楽しみます。竹亭のスタッフにしても、日本食レストランなのにサンタ帽を「カワイイ~~」とかぶって手放そうとしません。(苦笑)日本人だったら、きっとこういうのは照れたり恥ずかしがったりすると思うけど、彼らはあっけらかんと無邪気に喜んでいます。彼らを見ていると、しかめっ面してかっこつけてるより、照れずに楽しんだほうが勝ち!と思います。竹亭スタッフところで、写真のスタッフたちはいつもは午前10時出勤なのですが、明日の朝は開店前にクリスマスの飾り付けをするため、自主的に朝8時に出勤してくれるそうです。たまに残業頼むと嫌な顔するくせに、明日の朝はサービス早出です。よし!それなら私が、ジュースとお菓子を差し入れしてあげましょう。
2004.12.21
昨今のタイでは、日本食がとてもポピュラーになりました。タイ人は一般に食に対して保守的な人が多く、食べたことのない食べ物には「キン・マイ・ペン」(食べられません)と箸をつけようともしないことがよくあります。私の妻はタイ人で日本食が大好きですが、刺身、寿司等の生物は気持ち悪がって食べようともしません。(お陰で私は寿司を独り占めできますけど)それが「FUJI 」や「OISHI」といった大資本系の日本食レストランのチェーン店展開とメディア戦略、それに緑茶ブームもあって、若者を中心に日本食がすっかり定着したようです。竹亭にも、大学生やOLがよく連れ立って食事に来てくれます。注文する料理も、以前はサバ照焼、カニカマ、トンカツ、天ぷらといったオーソドックスな物を好んでいましたが、今は寿司でも刺身でも何でも食べる人が多くなりました。かつては、高い寿司や刺身が食べられるということは、お金持ちのステイタスシンボルでさえありました。でも、今やスーパーでもパックの寿司を安く買うことが出来るようになっています。(美味しくないですけど)こういう表現は語弊があると思いますが、以前はタイ・ピラミッド(社会階級)の上のほうの人たちしか食べることのできなかった日本食が、生活水準の向上と日本食レストランの過当競争による価格下落で中間クラスの人たちに広がり、今や下の上中クラスの人でも食べることが出来るようになったといえます。いずれにしても車や電化製品だけでなく、日本食がタイや世界中の人に認められ受け入れてもらえるというのは、日本人として嬉しいことです。竹亭は、カオサンという世界中から旅行者の集まってくる場所にあるから、顧客は日本人だけでなく白人やタイ人もたくさん来てくれます。彼らに、美味しい日本食を手頃な値段で提供して喜んでもらうということは、日本食レストランの経営者としての使命だしやりがいでもあります。商売は一寸先は闇ですが、これからもお客さまに「ハッピー」を提供できるよう頑張っていきたいです。追記。私事ですが明日から2日間、妻の実家がある海辺の町プラチュアップキリカンへ行きますので、日記の更新を数日お休みします。美味しいシーフードをたくさん食べてきます。(笑)戻りましたら、小旅行記をアップします。
2004.12.13
両親が、6泊7日のタイ滞在を終えて帰国した。私はここに15年以上住んでいるが、両親がタイに来てくれたの今回が初めてだ。今までずっと、遊びに来てくださいと誘ってきたが、実家が洋菓子店をやっているからまとまった休みを取ることが出来なかった。今回は私の結婚式ということで、ようやく重い腰をあげてバンコクまでやって来てくれた。ちなみにお袋は今回が初の海外旅行でもある。式の後は、チェンマイに2泊で連れて行ってあげただけで、ろくにバンコク市内観光も出来なかった。でも親父は生粋の洋菓子職人だから、AMARI WATERGATE HOTELと伊勢丹の ORIENTAL SHOPのケーキを美味しいと喜んでくれた。 ERAWAN HOTELのケーキも食べさせてあげたかったけど時間切れ。親はどんどん年とっていきますね。私がタイで就職したのが25才の時、今40才。無理もないけど。。。でも、老い弱っていく両親を見るのは悲しく寂しいことです。うちの場合は、親父が病気で体が不自由になってしまったから尚更です。ケーキが大好きで、ろくに休みもとらずにひたすら働いてきた親父。ゼロからスタートして、山梨県で1番美味しいケーキ屋さんを作り上げた親父。親父は酒は一滴も飲まないし、浮いた噂一つなかった真面目な人。ただケーキをjひたすら愛していて、ケーキを作ったり、新しいケーキのアイデアやレシピを考えていればそれだけでとても楽しそうだった親父が、今は自分でケーキを作ることができない身体になってしまった。どんなに口惜しく歯がゆい思いをしただろうと思う。でも、今の親父は童帰りとでもいうのか、とても穏やかで無邪気になった。チェンマイでいきなり「フランス料理が食べたい」と言いだして、こんな場所で無理言うなよな!と思わず私がむっとしたら、親父は目をニコニコと細めて「フランス料理でなくてもいいよ」と言われて力が抜けた。子供と一緒で、思ったことをそのまま口にしただけなのだ。幸い、お袋は元気なので救われる。前から比べれば年とったけど、63歳だというのに50台半ばに見える。ユンの家族に「お母さん、若いですね」と言われて満更でもなかったようだ。身体の大きい親父の世話は大変だと思うけど、いつも親父の傍らに寄り添ってあげていた。それにしても、本当にあっという間の7日間だった。。。今度会えるのは来年の何月頃だろう。お袋に、店を引退したら親父と一緒にこっちでしばらく住んでみませんかと誘っている。日本にいても、引退した年配の人は冷たくされがちだから、当たり前に年配を敬うこっちのほうが精神衛生上いいかもしれない。物価が安いから、年金だけで充分やっていけるし。幸い、2人ともタイのことを気に入ってくれたようだから、また遊びに来てほしい。別に移住というわけではなく、数十日の長期滞在でもいいのだから、遠慮しないで気軽に来てほしい。慣れない環境で大変なこともあるだろうけど、新しい体験もいっぱいできる。お袋が、空港の係員に思わず「サンキュー」と言っちゃったとはしゃいでいた。たぶん、生れて初めてしゃべった英語だろう。(笑)幾つになっても、新しいことを始めるのに遅すぎるということはない筈だ。
2004.12.03
ガチャ--ン!!。。。。。ミィヤオ。。ミィヤオ。。(タイの猫の鳴き声)タイ人従業員は、誤ってお皿やグラスを割っても誤りません。割った本人が、ミィヤオ、ミィヤオと猫の鳴きまねをして「ぼくじゃないよ。猫が割ったんだよ。」ととぼけます。(笑)仕事をしているのだから、事故で多少割れるのはしょうがないけど、それにしても日本に比べて実に気軽に割ってくれます。ほとんどが不注意です。ちょっと注意すれば簡単に防げることばかり。自分のお皿やグラスだったらもっと気をつけるのでしょうけど。せめて「すいません。。」と一言あれば、こっちの気もおさまりますが、ミィヤオ、ミィヤオではねえ。。。安いタイ製の物ならまだしも、日本から買ってきた刺身台を壊されたりすると、思わず怒鳴りつけてしまいます。これ高いんだぞ!セントラルには売ってないんだぞ!!この国は、怒って感情的になったら余計にうまくいかなくなるし、自分自身も疲れるからなるべく切れないようにしていますが、まだまだ修行が足りないようです。自分で自分を律することが一番難しいですね。それが出来たら、何事もうまくいくようになるのでしょう。日々進化向上していくのが理想ですが、凡人の私は七転び八起きの精神で頑張ります。
2004.11.17
昨日、バンコクで発行されているフリーペーパー「WEB」がインタビューに来てくれた。12月1日発行の号の「自分流泰的生活」コーナーで、私のことを紹介してくれるそうだ。ありがたいこと。いい宣伝になるし、広告費もタダ!(笑)客商売をやっていると、どうしても自分のことを知っている人が多くなる。もちろん、それで得をすることもあれば、決まりの悪い思いをすることもある。仕事の疲れが溜まってくると、たまにパッポンとかに飲みにいくことがあります。(飲むだけですよ。オフはしません。)ある夜、なんだかむしゃくしゃしていて、ゴーゴーバーに入りました。店内に流れる激しいロックのリズムと、一斉に浴びせられる女の子の視線に気分も高まります。席に座ると、すぐに眼がクリクリしてビーバーみたいな可愛い子がやって来ました。「おっ、ラッキー!」と思ってワイを交わし、ドリンクをご馳走しました。そして、軽いおしゃべりを楽しみながら、彼女の細い肩に腕をまわそうとした時、ダッダッダッ!(足音)「こんばんわ!!竹亭さーん!!」と、いきなり日本人の男の子が駆け寄ってきて大声で挨拶されました。私、思わずその場で固まりましたよ。。。竹亭に食事に来てくれた男の子が、たまたま向かいの席で飲んでいたようです。なんでもいいけど、こんなとこで声かけんなよな~と、心の中でぼやきながら「あ、どうも」と挨拶を返したけど、彼女の肩、抱きそこねちゃった。。。なんだか白けちゃったので、そそくさとお勘定を済ませると、彼女に心づけを渡しておとなしく家に帰りました。悪いことは出来ません。
2004.11.16
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カオサンには、タトゥー(刺青)屋さんがたくさんあります。私は古い人間なのか、一度入れてしまったら消すのも大変なものを体に彫ることには抵抗を感じます。でも、日本人でも若い連中はファッション感覚で気軽に入れているみたいですね。カオサンを闊歩しているヒッピー系の白人のなかには、サイボーグみたいに全身刺青の奴もいて、何回見ても目が慣れません。ところで、一部の白人の間では、漢字のタトゥーを入れるのがCOOL!なようです。魂とか、愛とか、虎とかの漢字のタトゥーを、肩や腰に入れている人をたまに見かけます。先日、まだ20才前半の白人の男の子が私を訪ねてきました。彼はカオサンのタトゥー屋に行って、「TRUTH」を漢字で彫って欲しいと頼んだそうです。でも、タイ人の彫り師に漢字がわかるわけもなく、あそこの日本料理屋で訊いてこいと竹亭へ送りこまれた次第。私は彼の話を聞くと、快く紙に「真理」と書いてあげました。彼はとても喜び、この字を彫り師に見せてこの通りに彫ってもらうと意気込んでいます。ちょっと待て。ちょっと待て。俺の字は汚いよ。このまま彫ったらかっこ悪いよ。と止めようとしたのですが、彼は「It's OK. No problem. It's cool !」と聞く耳持ちません。パソコンのフォントで印刷してあげようかなとも思ったけど、でも面倒臭いなとためらっているうち、彼は紙を持ってさっさと行ってしまいました。それっきり音沙汰なし。。。あれからどうなったんだろう。本当に私の字の通りに彫ってしまったのだろうか。もしそうだとしたら、ちょっとだけ申し訳ない気もしますけど。(爆)
2004.11.13
昨夜は2週間ぶりに酒を抜いた。ここのところ深酒をすることが多かったから、そろそろしんどくなってきた。酒を飲まなかった翌朝は、目覚めが爽やかだ。すっきりと爽快な気分で、朝早く目が覚める。頭も身体もクリアだ。ところで、タイ人もよく酒を飲む。彼らの酒の飲み方は、長期戦だ。(特に地方出身者)ウイスキーの薄いソーダ割りや水割りやビールを、延々と何時間でも飲み続ける。興が乗るとワイワイギャ-ギャ-騒ぎながら、半日以上も平気で飲み続ける。仕事ではすぐに疲れてあご出すくせに、遊びや酒に関しては底なしのスタミナだ。(笑)日頃の憂さをそうやって発散しているのかもしれない。自分の酒は短期決戦型。ゆっくり飲むのはかったるくて、ガンガン飲んで酔いつぶれて眠る。酒の飲み方にも、性格が現れるようだ。
2004.11.07
インドのプリーで、10年前に消息を絶ったまま生死も不明な日本人青年M(当時25歳)さんを、ご両親と友人が今も捜し続けています。ご両親と友人は、息子さんを見つける手がかりを求めて何度も何度もインドやタイを訪れ、どんなことでもいいから何か息子のことを知る人がいないかと捜しています。時々、息子さんらしい人を見かけたという情報も入るようですが、勘違いだったり、なかには報酬目当てでウソをつく人までいるそうです。結局、何の手がかりも未だに得られていません。すでに10年という歳月が流れています。お気の毒ですが、常識的には何かの事件事故等に巻き込まれ他界している可能性が強いでしょう。ご両親もそのことは充分に承知しています。でも、息子さんが亡くなったという証拠もないのです。だから、もし万が一生きていればとの一縷の望みを捨てさることはできないと涙を流されました。10年もの間、インドへ行ったきり帰らぬ息子を捜し続けるご両親には頭が下がります。それがどんなに苦しくて辛いことなのかは、他人には決してわからないでしょう。あきらめてしまえば楽になるのに、今も息子さんの生存を信じて帰ってくるのを待ち続けています。もし海外にいて、日本に電話やメールをしばらくしていない方がいましたら、ご両親や友人に連絡してあげてください。喜びますよ。いつの日か、彼らが心安らかに暮らせる日が来るよう祈っています。
2004.11.04
午後、お客が途切れたので、ホールのエアコン5台を掃除した。最近、効きが悪くなっているから早く掃除をしたかったのだが、お客さんがいたりしてタイミングが合わなかった。掃除といっても、埃だらけになっているフィルターを取り外して外へ持っていき、ホースの水でジャブジャブ洗うだけ。キッチンの近くのエアコンは、油汚れもあるから特に念入りに洗う。それでも、ほんの一時間ほどで終ってしまった。効果はてきめんだ。フィルターの埃を洗い流すと、それだけで風量が増してよく冷えるようになる。やったね!と気分がいい。(笑)この作業を業者に頼むと、サービス料なども含めてエアコン5台で1000バーツ以上請求される。でも、スタッフに手伝わせて自分でやればタダ!それに、自分でもできれば他の人に依存しなくてもいい。実際の話、1000バーツの純利益を残すためには、少なくともその6,7倍の売上が必要で、更にかかる労力と手間と時間を考えると大変なことだ。お金って、稼いで貯めるのは大変なのに、使う時はほんの一瞬。あっという間に消えていく。節約できることは、節約しよう。タイ人で時々勘違いする人がいるけど、これは「キー・ニィアオ」(ケチ)ではなく「プラヨード」(倹約)だ。ちなみに、無駄使いはタイ語で「プゥルアン」という。後で後悔するけど、楽しいのはこっちのほうだから困ってしまう。(笑)
2004.11.03
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