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『家人過あらば、よろしく暴怒すべからず、よろしく軽棄すべからず。
このこといい難くば、他のことを借りて隠にこれをほのめかせよ。 今日悟らざれば、来日を俟って再びこれを警めよ。 春風の凍れるを解くがごとく、和気の氷を消すがごとくして、わずかにこれ家庭の型範なり。』 (家族の者に過失があっても荒々しく怒ってはならない。 といって何も言わず、ただ捨ておくのもよくない。 もし、言いにくいことなら他の事にかこつけて婉曲に話すことである。 一度で効き目がなかったら、時が過ぎてから話すがよい。 そうすれば春風が氷を解かすように、穏やかなうちに家庭の円満を 保つことができる。) 周朝を開いた武王の弟の周公が、兄の子である幼い成王の教育係 となっていた。 周公としては、幼いといっても国王の子、厳しく教育するのも はばかることになる。 そこで周公は自分の子伯禽を鞭打って、暗に成王を戒めた。 伯禽が成長して大名に封じられた時、周公は次のようにわが子を戒めた。 「自分は文王の子であり、武王の弟である。 現在の国王である成王の叔父である。 しかし自分は一度髪を洗う間も、洗いかけた髪をつかんだまま 何度も人に会い、一度の食事中でも、何回も口中の食物を吐き出し、 待たせることなく、すぐ会うようにして人材を待遇した。 これほどにしても天下の賢人を失いはせぬかと心配している。 おまえも魯の大名になったならば一国の君であることを自慢して、 人民におごりたかぶってはならないぞ。」 「三度哺(ほ)を吐いて王師(おうし)を迎う」 の故事である。 直接戒めては反発されるであろうことも、 婉曲にさとせば素直に聞き入れられる。 現役時代、ちようど石油ショック後の不況時であった。 担当部長が全店各部門に対し節約指令を社長通達で出した。 幾日か後の会議の際、部長が、 「節約指令を出したが実行されていない。 社長通達を無視している。先が思いやられる。」 と苦情を述べている。 会議が休憩に入ったので、私はそれとなく雑談の中でこう話した。 「私は何度も中国へ社用で行ったが、暇をみては 農村地帯にまで足を運んだ。 実りの秋というのに雀が一羽も見当たらないので案内の人に 聞いたところ、雀が降りてくると鐘太鼓で音を立てて追い払う、 また降りようとすると音を立てる。 雀は長く飛んでいられないので落ちてしまう。 そこを捕まえて全滅させたと話してくれた。 実力行使作戦といえるし、日本ではかかしを立てるが、 雀は見馴れてくるとかかしに止まって羽休めをしている。」と。 くだんの部長が「我々をかかし、と言いたいのでは」 と聞き返したので、それが分かればあとは言うまい、 と話しておいた。 間接説法の方が効き目があると思われる。 そのあとで、次の話をつけ加えた。 「私が銀行の証券課長時代、時折り兜町の空気を吸いに出かけた。 ある時、取引のあった三木証券へ立ち寄り、 社長に敬意を表すべく面会を求めた。 社長は鈴木三樹之助さん、和服に前掛けをし、 社員と変わらない机に向かい、 机の上には古封筒、ハサミ、ノリが置いてある。 古封筒を裏返して再利用している。 それに和紙を細く切って紙縒(こより)を作っている。 何かを綴じる準備だろう。 そこへ和菓子を二つ出され、召し上がれとすすめられたが、 社長の前に菓子はない。 食べるわけにもいかない。 挨拶だけで帰ったが、送り出してくれた外務担当の社員。 「あのお菓子は地下の売店で二つだけ買ってきたものです。 食べなくてよかったですよ、 社長は次に来た客にも出すつもりですから。 客が来なければ自分で持ち帰る。 私も一度だけ伊東温泉へお供したことがあるんですが、 駅前の果物屋さんへ寄って皿盛りの果物を買って 旅館へ行くんです。 ナイフだけは持って行きます。 安い皿盛りは少々傷がついています。 それを削り取るためです。」 この三木証券、昭和40年の証券パニックの時、 証券会社発行の小切手は誰もが警戒して受け取りを拒絶した といわれた中で、四大証券のうち三社と三木証券だけは 現金並みに扱われたという。 その頃、故大平正芳総理大臣は、池田勇人総理の秘書官だった。 三木証券社長の紹介で大平さんと二人で飲んだが、 社長の娘が大平さんの奥さん。 いずれも慧眼であったことは間違いない。 封筒の裏返しが婉曲に大きな信用につながっている。 社長はそこまで考えていたかどうかわからないが、 結果は確かに事実を証明しているのである。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.14 13:40:26
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