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『貧家も浄(きよ)く地を払い、貧女も浄く頭を梳(くしけず)れば、
景色は艶麗ならずといえども、気度はおのずからこれ風雅なり。 士君子、一度窮愁蓼落(きゅうしゅうりょうらく)に当たるも、 いかんぞすなわちみずから廃弛(はいし)せんや。 (みすぼらしいあばら家でも庭をきれいに掃除し、 貧しい女でも髪をきちんととかしておれば、 見たところはあでやかではないが自然の趣もあり気品も感じられる。 これは人も同じで、万一失意のドン底に落ちても、 やけを起こして投げやりになってよいものか。) ここに、大槻磐渓作「太田道灌蓑を借る」と題した詩を引いてみる。 孤鞍(こあん)雨を衝(つ)いて茅茨(ぼうし)を叩く 小女為に遺(おく)る花一枝(いっし) 小女は言わず花は語らず 英雄の心緒乱れて糸の如し 太田道灌が狩に出て夕立にあったが雨具がない。 一軒のあばら家を訪ねて雨具を借りようとした。 これにこたえるかのように一人の少女が山吹の花一枝を差し出した。 が、道灌はその意味を解しかね心は千々に乱れてしまった。 帰城して聞くと 「七軍八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」 山吹は、花は咲くけれども実はつけない。 実と雨具の蓑をかけた歌であることを知り、 以後歌の道に励んだという。 英雄の心緒の乱れは、少女の粗末な姿の中に秘められている 高い教養によって、さらに増したのではなかろうか。 この思いは、着飾った女よりも紅襷(べにだすき)姿の茶を摘む 乙女が美しく見え、田植え姿の女性にたのもしさを感ずるに 等しいのではなかろうか。 外は粗末でも心は錦を思わせるからであろう。 演歌「王将」にも 「破れ長屋で今年も暮れた、愚痴もいわずに女房の小春、 つくる笑顔がいじらしい」。 夫・坂田三吉に尽くす女房の心根が知れて、 破れた長屋も瀟洒(しょうしゃ)な家に見えてくる。 そこへいくと、三千年も昔の話だが、太公望の女房は 夫が読書に明け暮れて稼がず、食にもこと欠くというので 家出してしまった。 後に太公望が出世して大名になると帰ってきた。 そして言うには、 「私はもともと、あなたの妻、これからも妻として 仕えさせていただきます。」 この時、太公望はだまって器の水を地上に投げ、 「あの水をこの器に戻しなさい」といったという。 「覆水盆に還らず」のいわれだが、 気の短い男なら器の水を地上に投げず、 女の顔に投げつけたであろう。 本項の最後に、「万一失意のドン底に落ちても・・・」とあるが、 まさにこのとおりで、一度や二度ドン底に落ちたからといって、 自分の気持ちまで落としてしまうようでは、 片隅にも置けないといわれるだろう。 「やると思えばどこまでやるさ、これが男の魂じゃないか」 -「人生劇場」の一節だが、敗北を悔いるより 自分が生まれてきたことを悔いよ、といいたい。 敗れても破れても、やると思ってどこまでもやり抜く、 これが男の魂じやないか、である。 武田信玄は 「成せば成る、成さねば成らぬ成る業を、 成らぬと捨つる人の浅はか」 と詠んでいる。 やればできるのに、できそうもないと言ってやらない、 馬鹿げたことだ、という意味だろう。 私の失意貧困時代の最盛期といえたのは20歳前後であったが、 当時悟ったことは、もし失意のドン底に落ちたなら、 一切の依存心を断って自分一人だけとなる。 なれば、自分の心身の力が蘇ってくるということであった。 『言志四録』には 「一燈を提げて暗夜を行く。 暗夜を憂うることなかれ。 ただ一燈を頼め。」 とある。 要するに、暗いドン底に落ちても心配しないで、 ただただ自分一人を頼りにしなさい、という意味である。 ドン底に落ちた人間のセリフは捨て鉢的なもので 「神も仏もあるものか」 であるが、神も仏もいないわけではない。 ただ、自分一人の力でドン底からはい上がろうと 努力している人だけに手を差しのべているだけなのである。 近年のように不況で失意の人も増え、 神も仏も多忙を極めているのだろう。 そうそう手もまわりかねているらしい。 こう考えると、私という人間は幸福だったと思う。 なぜなら20歳のいわゆる青春時代に脱毛症でヤカン頭になった。 いまだに治療法が見つかっていない難病、 神や仏でもさじを投げているほどのもの、 これでは頼みたくても頼めない。 そのため、ヤカンを抱えてヤケになるか、それとも、 ヤカンを忘れて力を尽くす道を見つけるか、二者択一となる。 毛はなくても目は見え耳も聞こえる。 聞いて学び、見て学ぶことはできることに思いつくことになる。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.15 06:19:58
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