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『小人(しょうじん)を待つは、厳(げん)に難(かた)からずして
悪(にく)まざるに難し。 君子を待つは、恭に難からずして礼あるに難し。』 (小人に対して、いくらでも厳しくすることはたやすいが、 それによって、その人間まで憎みやすい。 つまり、その行いを憎んでその人を憎まないということは難しい。 君子に対しては、その長所、美点を尊敬し、自分でへり下り 恭(うやうや)しくすることはたやすいが、卑屈に陥らないで 礼を尽くすという点は難しいことである。) 私には、人の欠点、過ちなどを報じた人の言葉や活字に 拒否反応を示す特異な神経があるらしい。 欠点だらけの人間であったためかもしれない。 誰々にはこれこれの長所があるといえば、 いや、あの男にはこれこれの短所があるといい出す。 あの人にはこういう功績もあるといえば、 これこれの失敗もあるという。 格別の魂胆があってのことではなさそうであるが、 人を良い者にすれば自分がそれよりも劣る人間と 思われやしないかとでも思うのではなかろうか。 人が人をほめたら自分もほめる気持ちになるのが、 大人といえる人間ではないかと思う。 過ちを犯した人間にしても、まったく反省していない者は 稀といえるだろう。 少なくとも心の隅にでも自責の心が働いているに違いない。 とすれば、他人まで責める必要はないといえるだろう。 人が人の短所を指摘したら、その長所を見いだし、 あるいはその人の心になって同情の心を注ぐことも 欠かせないのではないか。 そうあってこそ、その人も反省し心から改めようという 気になるのではないか。 銀行のあと、メーカーに勤めていた頃、生産部員が失敗した ということで担当部長が私に報告にきた。 私からすれば、現場で処理できる問題である。 そこで「そこまでは目が届かなかったな」といっただけで ことはすんだ。 生産部のことなど目が届いていてもわからない私だったが、 後で、大事にならなくてすんだ失敗社員に出会ったら ニコニコ顔で、私のわからない目を見ているようであった。 これは、また銀行時代の話である。 ある行員が社内規則に違反した理由で退職を命じられた。 人事部長であった私は、今後のこともあるので 注意だけはしておいた。 その行員が退職した後に、私は再就職先探しに努め、 ようやく内定を得て本人に通知したところ夫婦でとんできた。 「部長さんも監督不行届きということで 頭取から怒られたという話を聞き、 私は部長から憎まれ怨まれていると思っていました。 就職の世話まで・・・」 といって涙を拭いていたが、私は当人を憎む前に、 当人の将来が気がかりでならなかったのである。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.20 15:24:51
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