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『徳を進め道を修むるには、個の木石の念頭を要す。
もし一度欽羨(きんせん)あれば、すなわち欲境に趨らん。 世を済い邦(くに)を経(おさ)むるには、 段の雲水の趣味を要す。 もし一度貧着(とんじゃく)あれば、すなわち危機に堕ちん。』 (徳を進める修養や道を体得するには、世の中の富貴に対して 木石のように冷淡な考えをもつことが肝要である。 もし一度、それを羨ましく思ったり頼ったりすると たちまち欲の虜(とりこ)になってしまい、 修養ではなくなってしまう。 また、宗教家として世を救い、政治家として国を治めるには、 その去就に対して、行雲流水のような無心な心になることが 大切である。 もし一度去就に執着する心をもったが最後、 たちまち危地に陥ってしまうだろう。 救世も治国もあったものではない。) 会社経営とは徳の実践であるともいえるもので、 大いに発展を期すべきである。 しかし、いったん徳を離れた行為をすれば、 積み上げてきた徳はたちまち失われることを 知らねばならないだろう。 土地投機がさかんに行われていた当時、 ある会社から土地投資について相談を受けたが、 強く反対しておいた。 ところがその社長、土地がだめなら土地に関係ある ゴルフ会員券をと、何千万円かで買った。 それが仇となって四苦八苦の状態に陥ってしまった。 先日、私のところへやって来て、その処置について相談を受けた。 そこで皮肉にもこう言ってしまった。 「そのうち会社へ出勤しなくともいいことになるだろう。 そうなったら、買ってあるゴルフ会員券を利用して プレーして回ったらいいだろう。」 その社長が私を訪ねた理由は、倒産を防ぐために何か起死回生の 儲け話はないだろうか、と聞きたいからに相違ない。 そこで先手を打った。 「一攫千金を夢見るより一躍千尋(いちやくせんじん)の谷を想え」 と。 つまり、一度に大金を得ることを考える前に、 その結果は深い谷底に落ちることを考えるべきだ、 という意味である。 希望や夢がかなえられるなら、これほど幸福な人生はない。 しかし、希望や夢は現実となって優く消えてしまうものである。 その時、私は社長にこうも話しておいた。 「最も頼りがいのある一人に頼みなさい。 千人万人より大きな力を出してくれるでしょう」 社長は、 「それは私自身のことなんですね。やってみます」 と手を上げて帰ったが、今もって便りがない。 会社が手を上げてしまったのではないか、と心配しているのだが。 とかく、窮すれば通ずというが、詰まるところまで 詰まってしまうと通じなくなる。 藁をもつかみたくなる気持ちもわからないではないが、 一攫千金の道だけは選びなさるなといいたい。 千尋の谷に通じていると思われるからである。 別記したと思うが私は20歳で生涯計画を実行に移した時、 これを貫くために、勝った、負けた、損をした、 という趣味娯楽を断った。 つまり一攫千金の道も塞いだことになっているが、 たった一度だけ投機に手を出したことがある。 すでに書いたことだが、朝鮮動乱不況の昭和30年に借金して 株式投資をし、約2倍半に殖やして自宅を新築してしまった ことである。 それに、現役を退いてからは投機に明け暮れの生活といえる ほどだが、それは賭博でもなければ、競馬、競輪でもない。 天を相手の投機である。 野菜の種をまき、施肥、除草など、資本と労力を生育に 賭けることになるが、天候、害虫などに左右される。 まさに投機である。 当たればその処分に悩み、外れれば投下資本は皆無となる。 これでは大型耕運機の分割払いにも支障がでてくる。 ここでこう書くのも、夢にもならない夢のまた夢。 広大な農地といっても駐車場の半端な土地、 それも4ヶ所で150平方メートルほどのもの。 大型耕運機どころか手押し一輪車も入らない。 それを、専業農家だ、農繁期だと口にしているのであるから、 他人様から見れば投機ならぬ頭が逃避してしまっている と思うだろうが、当たらずといえども遠からずである。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.20 15:28:50
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