義を見て為ざるは勇なきなり
『矜高倨傲は、客気にあらざるはなし。客気を降伏し得て下して、しかる後に正気伸ぷ。情欲意識は、ことごとく妄心に属す。妄心を消殺し得尽くして、しかる後に真心現る。』(誇り、高ぶり、他を見下げ、威張ったりするのは客気、カラ元気による。これを押さえつけてしまうことができて、はじめて真の勇気が出る。情欲、利害打算の考えは、すべて妄心のなせるわざ、これをすっかり消滅させてしまうことができて、はじめて真心が現れてくる。)孔子の弟子で武力自慢の子路が、「大軍を動員して戦いに臨もうとする時、誰と行をともにしますか」と師に聞いた。これに対し孔子は、「暴虎馮河死して悔いなき者は、吾ともにせざるなり」と言った。すなわち、虎に素手で立ち向かい、大きな河を歩いて渡るような無駄死にを悔いない者とは、行動をともにしない。「客気人間」とは、同じ行動はできないということである。バブル当時、借金をし、値上げ争いまでして土地買いを競ったような無茶な元気者は、真の勇者とはいえない。『論語』に「仁者は必ず勇あり、勇者は必ずしも仁あらず」とあり、また「義を見て為ざるは勇なきなり」(人として為すべき正しいことを知りながら実行しないのは勇気がないのである)ともある。さらに『孟子』には「自ら反みて縮くんば、千万人といえども吾往かん」(自ら反省して自分が正しければ、たとえ相手が千万人いようとも恐れず立ち向かう)とある。『言志四録』には、「果断の勇は智より来たるものあり、義より来たるものあり、義と智が併わさっている勇気が一番立派な勇である」と書いている。このように、正しいと知りながら実行しないのは勇気がないからであり、義にかなったことであればいかに相手が多くとも突き進んでいく。このように、真の勇気というものは正義によって鼓舞されるといってもよい。正しいか正しくないかの疑問を抱えているときなどは元気よく立ち上がることはなく、及び腰になる。それなら、これから為そうとすることが正しいかどうかの判断は何によるか。私の場合は先賢の判断による、と言い切れる。つまり私のような浅学非才ともなると物事の正否の判断に苦しむことが多いが、先賢の知恵を書物から学べば、自信をもって決断・断行に踏みきれる。自信は勇気を何倍、何十倍にも強くしてくれるもので、学んだことを十分考え尽くし、これは正しいと考え自信をもって実行する者の動作は、鬼神も、これを避けるほど自信をもっているものである。銀行員時代、当時貯蓄推進委員会の会長をされていた岡崎嘉平太さんという方と対談したことがある。その際聞いた話である。ちなみに岡崎さんは、全日空の社長などもされたが、田中内閣の日中国交回復で大活躍し、歴史にその名を残している。岡崎さんが旧制高校生だった頃、郷里の先輩、日露海戦当時、連合艦隊の参謀であった藤井大佐を訪ねた時である。大佐は次のような話をされたという。「ロシアのバルチック艦隊が日本の海軍と決戦すべく東進してきたとき、敵艦隊は果たして北上して津軽海峡を経て日本海に入りロシアの東洋艦隊と力をあわせるか、それとも対馬海峡を直進するかを検討し、作戦を決定しておくために参謀会議が開かれた。自分一人が対馬直進と主張したが他の参謀はすべて津軽説であった。東郷連合艦隊司令長官は多数決により『連合艦隊は何日何時何分を期して津軽に向け出港すべし』の密令を各艦に与えた。これを知った自分は直ちに東郷司令長官に再び会議の開催を要求した。しかし、各参謀が前言を変えることはない。そこへ遅参して第一艦隊司令官が入ってきた。東郷司令長官が『貴官の意見は』と聞いたのに対し、『藤井大佐の意見に賛成』と答えたので、出していた密令を撤回し、しばし様子を待つことになった。しばらくして入ったのが、見張りに出ていた信濃丸からの電信『敵艦見ゆ、対馬に向かうがごとし。』自分の意見が的中したわけである。もし、多数決に従って津軽説に従い、わが国艦隊が北上していたなら、あるいは勝敗は逆転していたかもしれない」この話を聞き、岡崎さんは、藤井大佐が多数の主張に対して一人、自分の信念を通した勇気には何人も兜を脱ぐに違いないと思い、大佐に「海戦第一の手柄」といったところ、大佐は次のように答えた。「お上からお手当をいただいている人間が、立場上主張すべきことを主張しただけのことで、手柄でもなんでもない」岡崎さんは以上の話をいちいち一人うなずきながら話してくれたが、「自ら反みて縮くんば、千万人といえども吾往かん」の藤井先輩の心意気を思い浮かべてのことであったろう。何事においても、これが正しい、と考えていると、恐ろしいとか、恥ずかしい、出過ぎていやしないかなど、自分中心の考えは消え失せてしまうようである。これは私が経理部長であった時のことである。ある地方支店へ出張の途中、目下新築中の支店へ立ち寄り建築現場にも寄ってみたところ、一階から二階へ吹き抜けの様式になっている。頭取の好みで自作の仏像を設置する計画でもあったのではないか。その時私が建築設計責任者に「近年は光熱採光すべて電気。吹き抜けにするより二階も事務室に使用すべきではないか」と言ったところ、それが直ちに頭取に電話で直報されたらしい。私が目指した支店へ着くやいなや百雷が一時に落ちた。私の先輩が怒られた時は扇子がバラバラになるほど机を叩いて怒ったというから、そのすさまじさには定評があった。そのすさまじさが電話線を伝ってきたのであるから、免職にはなるまいが、今後の昇格は断念しなければなるまいと思っていた。幾日かたって秘書室長から、今日、頭取主催の会議に出席するようにという命令。いよいよ来る時が来たと思って片隅の方に席をとった。出席者の顔を見ると建築関係者ばかり。そこへ頭取が出席し「これからの営業店の床から天井までの高さは9フィートを限度とする。そのつもりで計画してもらいたい。今日頭取から言うことはこれだけ。あとは部長を中心に会議を進めてくれ」立ち上がった頭取、「井原君、これでいいんだろう」と言って出ていってしまったが、義に味方してくれた頭取の後ろ姿を拝みたい思いがしたものである。 (『菜根譚』を読む 井原隆一著より)