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竹内睦泰先生が亡くなってから5日が経つけれど、喪失感は日に日に大きくなっています。竹内さんの日本国を誰よりも愛する独特なキャラクターと、武内宿禰が1000年以上継承してきた膨大な量の貴重な情報の蓄積に対して。 僕が竹内先生と知り合ったのは、Discoveryチャンネルに勤務していた10年前の2010年冬。雑誌ムーの三上編集長が招集するオカルト業界の飲み会「オカブの会」で、超能力者の秋山眞人さんから第七十三世武内宿禰さんとして紹介されました。 その後、『竹内文書』を研究していた布施泰和さん夫妻が主催するお花見の会などで何度かご一緒して、おもしろい人だということを少しずつ知るようになってきたけれど、 その頃、竹内先生が池袋で毎月開講していた日本史講座に何回か通いました。めちゃくちゃ面白い講義で、日本史のおもしろさに目覚めました。教える人によってこんなに違うんですね。 2012年に、『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド』 2013年にDiscoveryチャンネルを退社したので、三上ムー編集長に挨拶に行きました。その際、Discoveryチャンネル時代に3.11の震災で流れてしまった企画を『ムー度満点LIVE』というタイトル(放送作家・佐々木勝俊さん命名)で、ライブハウスからインターネット生放送をやることにしました。 2014年6月。その第5回目のゲストで出演をお願いしたのが竹内睦泰先生だった。この頃の僕は古代史や神社、神道について詳しくなかったので、素朴に未知なる世界を竹内先生に質問したのだった。生放送だったため、竹内先生が本番前に酒を抜くためにライブハウスのある大久保の周りを狩衣装束のまま、夜風に吹かれて本番直前まで散歩していたことが印象に残っている。すごく楽しかった! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/01/19 01:50:53 AM
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