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2019年06月23日
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​相模女子大学グリーンホールでのコンサートの翌日の夜、
Yちゃんのアドレスから「Yの夫です」というタイトルのメールが届きました。
続く文章に頭が真っ白になりました。
Yちゃんがこの日天国に旅立ったというのです。

先日のNHKホールに行けて良かったということや葬儀の日時などが書かれていましたが
内容が頭に入ってこず、何度も読みかえしていると
やはりNHKに一緒に行ったSさんから電話が入りました。
私はまだ信じられない気持ちの方が大きくて、茫然としていたのですが
Sさんは電話口で泣きじゃくっていました。
とりあえず一緒に告別式に行く約束をして電話を切りました。

告別式は日曜日でした。
セレモニーホールのある駅で式の始まる1時間前にSさんと待ち合わせしたのですが、
2人ともその30分ほど前には着いてしまいました。
そのままホールへ向かいましたが、まだほとんど人が集まっていない時間だったので
ご主人やお姉さん、お母さんとも長めにお話しすることができました。
初めてお会いしたお姉さんの顔や話し方がYちゃんにそっくりで、余計に悲しくなりました。

Yちゃんが亡くなったという知らせを聞いてから一緒に映った写真を探したのですが
1989年の夏のイベントの時に撮ったものしかみつかりませんでした。
でもお母さんやお姉さんはその写真を見て
「まだ子供だねぇ」と涙を流しながら笑ってくれました。

棺の中のYちゃんの顔はこの間会った時よりもさらに小さく感じました。
この間まで笑顔を見せてくれていたのに、もう目を開けてくれることはないなんて…。

祭壇の脇にはALFEEの40周年の時にもらった名前入りの感謝状が飾られていました。
それと坂崎さんの書写真も。
坂崎さんが撮った写真と筆で描いた言葉1がつの額に入っているものです。
坂崎さんが大好きだったYちゃんが1枚買ったというのは聞いていましたが
その書をみて涙が溢れました。
​​「お別れを言いにきてくれたんだね」​​
買ったのはもう何年も前のはずです。
遠い未来のはずだったこの日のためにこれを選んだのかな…
でもそれももう聞くこともできません。

告別式後喪主であるご主人が挨拶されましたが、途中涙で言葉が詰まっていました。
そして最後のお別れの時。
順に棺にお花を入れていきます。
私は了解を得てお花と一緒に二人で一緒に映った写真と
ALFEEのこの春のツアーで1本だけ手に入れた銀テープを半分入れました。
両方とも裏にメッセージを書いて。

Yちゃんと出会ったのは私が初めてALFEEのコンサートに行った1984年の5月でした。
一人でホールの外で不安そうな顔で立っていたのであろう私に
ALFEEファンとしてはちょっと先輩だった彼女が声をかけてくれました。
たまたま同い年だったという事もあり、それ以来交流が続きました。
会った頃は彼女は埼玉、私は東京に住んでいましたが
彼女は卒業後実家の愛媛に帰ったりしたし、結婚後は埼玉と千葉で
住まいが近くになることはなく、会うのはほとんどがコンサートの時でした。
でも手紙やメールなどでもALFEEのことはもちろん、
個人的な悩みなどいろいろなことを話しながら笑ったり、泣いたり、
気づいたら35年もたっていました。

2年前に病気が見つかり、闘病生活に入った彼女でしたが
NHKホールや武道館、夏のイベントなど、チケットをとったコンサートの時には
ALFEEを思う気持ちからか体調が落ちつき、奇跡的に一度も空席を作ることはありませんでした。
病気が進んでからは優しいご主人がいつもホール近くまで送り迎えをしてくれていました。
先日のNHKホールの時ははじめて入口までご主人が送ってくれ、
そこでSさんと私が引き継ぐ形での参加になりましたが、
コンサート中は立ったりこぶしを振り上げたりすることもありました。
「免疫力が上がった」「またね」と笑顔で別れましたが
それから1か月もたたないうちに旅立ってしまいました。

「天河の舟」という曲が発表された頃、
その舟にいつか乗って行ってしまうであろうALFEEを想像して泣いていたYちゃんだったのに
彼女が先にいってしまいました。

私は子供が小さい頃はあまりコンサートに行けない時期もありましたが
彼女のALFEEに対する情熱に引っ張られてここまできた気がします。
私の青春のすべてにALFEEがあり、彼女がいました。
その彼女を失い、翼を片方もがれたような気持ちです。






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最終更新日  2019年06月29日 17時40分18秒
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