神頼み…
占いもそうですが人間弱ってる時、やっちゃいますよね!神頼み…我家に神棚がやってきたのはあの時からです。ナイスガイが2歳半の時、ネフローゼを発病し入院しました。それまで順風満帆に過ごして来た我家に突然やってきた試練です。まだ幼かったナイスガイに私は付き添い病院に寝泊り、10ヶ月だった可憐な少女はおばあちゃんに預けられ、たっきぃは一人で我家から仕事場へ…家族バラバラの生活は半年間続きました。結婚前からずっと会社勤めの私は退職せざるをえなくなり、消灯すぎた階段の灯りの下で必死で引継ぎ書を作成していましたら、不憫に思われたのか婦長さんが1週間特別に消灯後の談話室を使用させてくれました。いつまで続くかわからない不安と悲しさに押しつぶされそうな気持ちと戦いながら、会社に迷惑がかからないよう必死に引継ぎ書を作成したのを昨日の事のように思い出します。(この頃都市計画のコンサルタントをしていました)入院生活3ヶ月を過ぎた頃、初めて1泊の外出許可が出ました!我家に向かう車の中でナイスガイがニコニコして言った言葉が忘れられません…「ママ、草が生えてるよ!」「ママ、バスが走ってる!」「ママ、お店があるよ!」「ママ、○○○」「ママ、○○○」 ・・・・・・・・・・ステロイド系の投薬と検査と注射の日々を送っていたナイスガイは他からの感染がないように灰色の壁に囲まれた隔離病棟…でもそこには小学6年生迄の同じような子供達が10数名各県から集まってました。元保母だった私は病室でもみんなで楽しく過ごせるよう工夫して、看護婦さん達からも「マドンナ保育園」なんて言われてました!昼間は子供達のお母さんや家族もいて結構にぎやかなんですが、夜8時になると帰らなくてはいけません。一緒に寝泊りできるのは4歳以下の子供だけ…それが規則です。あいにく泊まれるのは私一人でした…。どんなに熱を出していても命にかかわる事でない限り絶対に許されませんでした。心配顔で帰っていくお母さん…長い入院生活になる子達に1回を許してしまうと我慢ができなくなりかえって辛い思いをするからです。お母さん達はみんな毎日「マドンナさん、お願いします…」と言って帰っていってました。子供達よりツライお母さん達の気持ちが痛いほどわかるので、夜はみんなの「お母さん」になるのに必死でした!!子供達の中には毎日「お母さん帰らないで!」と泣く子も当然いたし、夜中に泣き出したりどなり出したりする子もいました。夢遊病のように…私は毎晩何回も目を覚まし、みんなの子供達の頭を撫でてまわってあげました。それ位の事しかしてあげられませんでした。そんなある時やってきました…「神様どうかお願いします、助けてください!」他には言葉が見つからない…そんな出来事が…なんだかとっても暗い日記になってしまいましたね。スミマセン…でも又今度続きを書かせてください。どんな子供も未来に向かって生きているという事がわかったんです。では、おやすみなさい…