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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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タコ社長1952

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2012年08月21日
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カテゴリ:幼少年期
「タコ、グラントハイツに連れてってやるよ。」
4つ年上のシゲさんがそう言った。私は小学校3年生になっていた。

「グラントハイツにはな、アメリカ人が住んでるんだ。面白いぞ。行くか?」
私は二つ返事で行くことにして、自転車に乗った。外国を見られると思ったらドキドキしてきた。

東京は練馬の向山町という所にあった警察官住宅に住んでいた。どの家も、貧しさを競っているような昭和30年代半ばの年のことだ。その家から自転車に乗って30分くらい行くと、今までに見たこともないような別世界が待っていた。広い芝生。黄緑、桃色、黄色の板塀の家々。隣との距離がしっかりとられていて、しかも塀も垣根もない。そこに、アメリカがあった。茶髪、金髪の子供たちが甲高い声を上げてキャッチボールをして遊んでいた。

これが私のアメリカ、海外の初体験となった。もう、病み付きになってしまった。暇さえあれば、この世界に浸っていたいと疼く思いが消えていかない。そして、9歳のときここで初恋の人ラビンに出会った。

今、ここは上に伸びる巨大な光が丘団地となっている。

  • img098.jpg


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Last updated  2012年08月22日 00時31分25秒
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