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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:忘れられない人々
私の父は、昨年4月に88歳で亡くなったが、記憶は最後まであった。父は、亡くなる数日前に「俺は、もう駄目か。」と母に言ったという。父の悲しみを思うと今も胸が痛む。
警察官だった大正12年生まれの私の父は、英語がほとんどできなかった。唯、交番勤務のとき覚えた英語だけはいつまでも覚えていた。 「ゴー、ストレイトアヘッド、ターンライト」 などと言って、海外からの訪問者を笑わせていた。 脳を病んだオランダ系の連れ合いの父親は、だんだんとオランダ語で話すことが多くなってきていた。話すといっても、単語を2,3羅列するだけだったけど。アルツハイマーなどを患うと、第二言語を忘れてしまうらしい。昨年6月の原因不明の体の痙攣から始まり、今年の3月頃から急激なアルツハイマー症状が出て、この2ヶ月は医者も驚くほどの症状悪化だった。原因が不明の難病になってしまった。そして、この15日に78歳で他界した。救いは、本人は何も分からずに逝ったこと。二人の父の逝き方は違っていたが、周りの家族の悲しみは同じだ。 二人の父は今天国にいる。しかし、オランダ語になってしまった義父と、英語のできない父では会話は弾まない。私が行くまで待っていてもらわないとならないが、あまり早く通訳を頼まれても困る。 私がアルツハイマー症状を患うと、連れ合いと会話ができなくなってしまうことになる 。今もそんなに会話があるわけではないが。ボケないためには、歩くことと納豆など脳にいい物を食べ続けること、そして笑うことなどがいいという。義父がいつも言っていたKeep smiling!が活きてくる。義父はいつも笑顔の人だった。 そんな義父がボケて逝ってしまったことが、あまりに悲しい。 今年の5月の写真 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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