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テーマ:海外生活(7773)
カテゴリ:忘れられない人々
「オーストラリアから手紙が来ているよ。」
外出から帰ると、炬燵に入ってテレビを見ていた母がそう言った。父はすでに床についていた。 1986年9月、私は1年以上住んでいたメルボルンで、オーストラリアの永住権を申請して日本に帰国していた。その年の暮頃から、私はオーストラリア大使館からの連絡がきていないか、毎日郵便受けをチェックする日々が続いていた。気持ちだけが、遥かな南半球にか弱く飛んでいっていた。 手紙は、メルボルンでマネージャーとして働いていたレストランオーナーからのものだった。一度は蹴られた永住権申請に、何とかもう一度移民局に話をしてもらえないかと頼んでいたのだ。 「タコ、今日移民局から特別のケースとして永住権を与える連絡が入ったよ。この知らせは日本のオーストラリア大使館に伝わってそこからタコに連絡がいく筈だよ。」 手紙を読んでいた私の様子から、母もいい知らせだと感じていたようだ。私は、母の手を取って、「お母さん、永住権が取れたよ。」とやや上ずった声で喜びを伝えた。 「良かったね、本当に良かったね。」あとは言葉が続かなかった。 6年ほど前から、甥っ子のイカが私の住んでいるメルボルンに来て仕事をしてくれている。ワーホリ、学生、そしてビジネスビザを取ってフルタイムでやっている。叔父さんと違って金髪好みではなく、そちらでの永住権は望めないようなので、会社がスポンサーになって彼の永住権を申請した。私のときにはなかった英語の試験もクリアーできたようだ。 今は、申請から審査の結果が出るまで半年はかかるという。半年後に、母に、いやお祖母ちゃんに朗報を伝えることができるように願っている。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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