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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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2013年06月22日
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テーマ:海外生活(7773)
カテゴリ:忘れられない人々
一昨年の4月に他界した父は、声を立てて笑うことのあまりない人だった。むしろ声を立てて怒ることが多かった。そんな父は、最後の一か月弱ホスピスに入ってからは、ほとんど笑顔を作ることがなくなってしまった。思い出すのは父の悲しそうな顔ばかりだ。

長年警察官だった父は、退職してからもその頃の癖が抜けなかったように、新聞で叩かれている政治家などに対しても、とんでもないやつだな、などと声を荒げていた。そういうことはよくあった。

父は若い頃「浪花節」でラジオの予選会に出たことがあったという。残念ながら予選落ちだったというが、子供のころ父が歌う「浪花節」を何度か聞いたことがあった。お世辞にも上手とはいえなかったが。

「それでは、大ダコさん、どうぞ!」
私の即席の紹介で父がビデオの前で、東屋浦太郎の十八番「野狐三次」を歌い出した。父が亡くなる3年前のことだった。私が頼んだら父は本当に素直に歌ってくれた。以前に、短期間三味線を習っていたことのある母が、壊れた三味線を抱えて合いの手を入れる。私は、ビデオを撮りながら可笑しくて仕方なかったが、真面目に歌っている父を見て笑うわけにもいかない。私が、いまでも突然歌い出したり、踊り出したりするのは、この両親から受け継いでいるのだろうか。

「お粗末さまでした。」
父はそういうと突然大笑いし出した。母も一緒に笑った。勿論、私も。笑いはしばらく止まらなかった。そして、一緒にビデオを見る度に、また三人で笑った。

笑顔の父に会いたくなるとき、今でもこのビデオを見る。






  • 写真(1).jpg


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Last updated  2013年06月23日 02時29分57秒
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