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テーマ:国際恋愛(198)
カテゴリ:幼少年期
その少女はラビンといった。少なくとも私にはそう聞こえた。もしかしたらロビンだったのかも知れない。東京は大根で有名だった練馬区にグラントハイツという、バカでかい米軍の家族が住む住宅地があった。周りのウサギ小屋と違い、大きい緑色やピンク、そして黄色などのカラフルな家が広い敷地の中にポツンポツンと建っている。野球ができるくらいに広がる芝生は、春の風に鼻をくすぐられるように陽炎を立てる。二間の長屋から滑り出てきた私には、その芝生のにおいを嗅ぐだけで外国をしっかり味わうことができた。
小学校3年の時、私はそのロビンに恋をした。初恋だった。言葉は通じない。2つ年下だと一緒に行った中学生の重ちゃんが教えてくれた。私達はそのラビンの弟ポールとよくキャッチボールをした。 ある夏の日、ポールの母親がキャッチボールをしている私たちに家の中に入るように言った。外国人の家の中に入るのは生まれた初めてだった。今までに、嗅いだことのないような上品な甘い匂いがする。びっくりしたのは、外からはガラス越しにも中が全く見えないのに、家の中から映画の画面を見るように外がはっきりと見えることだ。自分が住んでいた家は外から中が恥ずかしいくらい丸見えだった。これがアメリカの家なのか。 お母さんがアイスキャンディーを出してくれた。英語が書いてある原色の派手な色紙に包まれている。紙を破ると溶けかけたアイスキャンディーが濃い赤い糸を引いて垂れた。ラビンが自分の写真を持ってきて見せてくれた。正装していて思いっきり笑顔の同じような写真が何枚もある。いつも窓越しにしか見ることのなかったラビンが目の前にいて写真を広げている。そして、何か話かけてくる。英語だ。恥かしそうに首を傾けて話すその言葉が全然分からない。英語が勉強したい、、、、。 お父さんが帰ってきた。太く低い声が台所の方からする。姿は見えない。もう帰らねば。傾いたラビンの首が横から前に倒れて目が隠れた。お父さんは最後まで姿を現さなかった。砂埃の中を自転車で急いで帰った。私の胸のポケットには、ラビンが微笑みながら私にくれた一枚の写真が入っていた。しばらく行けずに夏休みなって浮いた気持ちで遊びにいったらラビンの家族はいなくなっていた。他の家族が住んでいた。一人で行って、一人でずっと芝生に座って遠くからラビンが住んでいた家をただ見つめていた。 グラントハイツは、今は光ヶ丘団地という大きな団地に変わっていて、米軍住宅地は跡形もなくなっている。そして、私が育った六畳と四畳半二間の警察官住宅の家は、今は砂利がひかれた小さな駐車場になっている。変わっていないものがあるとしたら、それは私の金髪好きくらいのものだろうか。自慢にはならないが。そして、海外志向だろうか。 オーストラリア移住、メルボルンに27年住、そして今はメルボルンとフィリピンのセブを行ったり来たりしている。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年08月09日 12時35分10秒
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