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カテゴリ:タコ サラリーマン期
「京都ベラミ」。広島で戦後生まれた有名人二人のうちの一人、かの山口組三代目田岡組長が1978年に狙撃されたクラブだった。因みに、もう一人の有名人とはあのダイエーの創始者中内功氏だ。私は、田岡組長がピストルで撃たれたその一年後にこの「京都ベラミ」を訪れて、面白い思いをさせていただいた。
ここには同僚の社内接待で行った。父親が神戸大学の経済学部の教授だというKさんと、奥さんが元全日空のスチュアーデスのMさんと、母親が秋田の農家出身の私の3人だった。 入り口でスーツ姿じゃない人は、スーツを貸してくれる。我々3人は、ずらっと並んだスーツから体に合った物を選び中に入った。さすが、カラーコンビネーションまでは儘ならず、一見田舎者集団風になってしまった。 Kさんは、ほぼ丸坊主に近い髪型に太目のメガネをかけていて、声がだみ声でよく響く。体格は元プロレスラーのようだ。Mさんはちょっと品のあるお抱え弁護士然とした感じを出していた。20代の私は、使い走りだ。当時私は、建設機械メーカーの海外営業マンでインドを担当していたサラリーマンだった。だからKさんも、レスラーとかじゃなく同じ会社の先輩サラリーマンではあった。 テーブルについた3人の女性のうちの一人にダンスに誘われた。ダンスといっても、今のようにロックンロールを踊れるわけでもなく、ただくっついているだけのあのてのダンスではあったが。踊った女性はあっちこっちがぶち当たる肉付きのいい、艶っぽい人で自分を抑えながら躍らせていただいた。 「ねえ、あんた。ちょっと頼み聞いて欲しいんだけど。」 こういうところで頼みごとをきいたことがないので、私は、金の無心とかじゃないかと思ってやや身構えた。 「ちょっとね、ある人をやって欲しいの。」 初めて会った者に頼むことだろうか。通常は三回くらい会ってからとかが似合う依頼ではないだろうかなどと思ったわけではないが、せっかく踊っていて張ってきた体が萎えていくのがわかった。 「あのメガネの人、これでしょう?」と言いながら彼女は人差し指で頬を上から下になぞった。 なんと、この女性はKさんをあっち系の方と思ったようで、そのKさんに殺人を依頼しているのだ。この女性、どんなにそうじゃないと言っても信用してもらえなかった。前の年に、山口組の田岡組長が狙撃された「京都ベラミ」のダンスフロアーでの出来事だった。そう思って、周りをみたらどの人もあっち系の人に見えてきてしまって急に怖くなってしまった。 席について、彼女がトイレで外しているときに、Kさんにこの話を伝えると、ものすごい声を出して大笑いした。 「タコ君もウブだね。そうだって言って騙せばよかったじゃないか。」Kさんはそう言って、尚も笑い続けたが、まるっきり冗談とも思えなかった。この人も怖かった。 体だけはデカイ駆け出しサラリーマンだったころの話だが、ドロドロとした世界の洗礼はまだ受けておらず、物事を実直にしか捉えられない不器用さを引きずって一生懸命人真似しようとあがいていた。 毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 タコ社長の本業・オーストラリア留学 タコのツイッター Twitterブログパーツ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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