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カテゴリ:日記
お葬式のあった全羅南道のコフンという所まで、バスで5時間。3時半に出発して9時ごろに到着した。そこから迎えの車で(オッパの甥が迎えに来たけれど誰だかわからない)、5分のところの病院へ(韓国では病院に葬式場がある)。行くと、もう待っていましたとばかりに、挨拶の嵐(笑)。もう誰だかわからない・・。とりあえず亡くなったおじいちゃんに挨拶。後ろで、たこやき来ないって言ってたじゃないかというおじさんの声と、いや来て当たり前だよと言うおじさんの声。着てよかったとちょっとほっとした。
とりあえずここからややこしくなるので、一旦、韓国の親戚図について・・。 シオモニの男兄弟はサムチョン、その奥さんはスンモ。シオモニの妹はイモで、だんなさんはイモブ。いとこはサチョンで、甥、姪はチョッカ。これだけでもややこしいのに、私の立場はと言うと・・未だに良くわからない。 式場では女の人達は基本的に白いチマチョゴリ。着ている服の上に着る。葬式を知っている人はジャージのズボンを持ってきて、下にはいてた。私はと言うと、ちょっとタイトなスカートに半そでのニット、ストッキング。知ってたら、衣服を持ってくるんだった・・。そして頭に白いリボンのついたピン。男の人は麻の帽子に腕章、足にも麻の布を巻く。昔の服装の簡易版といったところ。そして、私も早速白いチマチョゴリを渡されて、いよいよ葬式デビュー。ものすごいやる気だったのに(体の調子は別として)、みんな体の調子が悪くて来ないと言うことを知っていたからか、日本人だからか、何もさせてくれない。 白いチマチョゴリはちょっと窮屈で厚かったけれど、年上の人が多い中でひざの出るスカートに(しかも前にスリット)、前がちょっときわどいニットだった私には気兼ねなく動けるようになってちょっと助かった。食事も済ませ、後は話をしているだけ。たまに、人が来ると何か手伝いましょうかと、走っていく、これの繰り返し。後はおじいちゃんが亡くなって動揺しているおばあちゃんの話し相手。 明日の帰る時間について話し合っているとシオモニが、おじいちゃんを埋葬するところまでいないとおかしいと、おじさんに言われたらしく、どうするか聞いてきた。妹の旦那さん、月曜出勤だから、早く帰ることにしてたのに、その話を聞いて一人帰るわけには行かず、午後一緒に帰ることに同意。早く帰るつもりだった私たちも、4時ごろのバスで帰ることに。 前日亡くなった後は、一晩寝ずに明かした親戚の皆さん。2日目の土曜日は遅くなるにつれ、少しずつ寝始めた。私たちも寝る準備。時間は12時ちょっと過ぎたころ。暑いオンドルの上で、暑苦しいチマチョゴリの私は寝付けず3回くらいトイレに起きた。 そして、3日目がやって来た。 この日は朝から私もがんばる体制。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.05.07 20:00:06
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