|
テーマ:最近買った 本・雑誌(6925)
カテゴリ:書籍
久しぶりに連続で更新です
今日は朝から予定が来るってしまい出かけるはずがまたもやたくぼぅとパパでプールへ行かれてしまいましたなのでこうして涼しい室内にいられるのですが・・・ 本の整理は大体終わったので、次は雑誌に着手してます 雑誌はかさばるし、売れないし、捨てるのに重いし、でゴミに投資しているとは思いつつも雑誌好きの為なかなか買い控えることができないんですよね そんなわけで捨てるのにもぱらぱらめくって読んでいたところ桐島かれんさんの特集記事につい見入ってしまいました あんまり見かけなくなったなぁとは思っていたのですが、ちょっと前にのCMで相変わらずキレイな姿を拝見できてどうしていたのか気になっていました。 なんと現在4人のお母さんで30代は丸々子育てに費やしてきたとのこと。その一言一言には母の先輩としての重みと深みのあるものばかりでした ::::以下全てVeryから引用:::: 長女の出産を機に家庭に入ったのは、体型が変わったことや、授乳といった物理的な問題もあったけど、何より、子供と一緒にいることが一番自然なことだと思えたから。 長女が生まれて1年間は、もう必死。万年寝不足だし、それこそ顔も洗わないで、体型も戻ってないから妊婦服を着続けて子供をずっと抱いているような毎日で。20代に自由を謳歌してきた私にとっては、まさに修行(笑)それでも、二人目、三人目を作ったのは、子育ては大変だけど、子供の存在が無条件でかわいかったからだと思う。 無条件で自分のために、自分らしく生きる人生は、子供を産む前までよ。 長女が1歳になった頃、初めて2時間だけベビーシッターさんを頼んで、1人で喫茶店に行ったことがあるの。久々に週刊誌かなんか買って。でも、すごい解放感を味わえた半面、不思議な気持ちになったの。離れていても子供のことが気になってる自分がいて。そのとき思ったのね。もう私には、手離しで味わえる自由はない。これからは、どんなときでも子供を一番に心配する自分がいる。それが、母親になるということなんだって。 母親になるっていうことは、子供の幸せを一番に考えて生きていくことで、多くのものをあきらめ、我慢する覚悟が必要だと思う。母親になっても何もあきらめず、すべてを手に入れる女性像がもてはやされているけど、それを実現できるのは、ごく一部の才能に恵まれた人たちで、そういう人こそ、影では人一倍努力をして、いろいろなものを犠牲にしていると思うの。そこを履き違えると、子供を産んで自由を失ったと、子育てがネガティブなものになってしまうんじゃないかな。母親になったら、子育てても、仕事でも、勉強でも、自分の役割を懸命に果たす。そういう30代が私には魅力的に映るし、私自身もそうやって、子育て期の30台を過ごしてきたつもり。だからこそ、自分の時間をほとんど失っても、4人の子供の命を預かるという大きな責任によって鍛えられたおかげで、やっと本当の大人に慣れたと思っている。 仕事なら頑張った分、賞賛や報酬という形で帰ってくるけど、主婦業は社会的に評価されないから、モチベーションを保つのは大変だと思う。そもそも、女がみんな、料理や掃除が好きで、子供と接していることが何よりの喜びだなんてことはないじゃない。でも一工夫すれば生活の中から楽しみを引き出せると思うの。(中略)肝心なのは、子育て期のあるべき姿を一つのステレオタイプに限定しないで、自分にとって何が大切で、何が幸せなのか、それぞれが自分の生き方に答えを出すことじゃないかな。 人生を樹木の年輪にたとえると、幹の一番外側のかなり逞しくなった木肌が現在の私。42層にも年輪が重なった私の内側には、育児に四苦八苦していた30代の私、能天気な20代の私がいる。子育ての面白いところは、子供の成長を通して、自分が生きてきた歴史を追体験できることだと思うの。たとえば、今、思春期を迎えている長女を見ていると、13歳の頃の私が呼び覚まされる。こんな時代があったなと。そんなふうに10代、20代、30代と生きてきた自分を、子供との時間の中で味わいながら、40代で子育ての『〆』をしていこうと思ってる。30代で手のかかる育児が一段落しても、子供達は思春期に入るし、まだまだ40代は子供中心だから。本当の意味で子育てから解放される50代に入るまでは、貴重な自由時間を有意義に過ごしながら、お母さんとしての自分を真ん中に置いて、自分の年輪に、大切な思い出や経験を刻み込んでいけたらなって思ってる。 最近「5年後の自分」を考える機会があったので40代に突入している自分がどう生きているのか桐島かれんさんの記事を読んでもかなり興味深く思えました。 女性としての自分、母として自分を見つめなおすいいきっかけになった記事でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|