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もう10年は経ったけれど、○ちゃんのことを考えない日はありません。
でもだからと言って泣いて暮らしているわけでもなく、仕事をしたり、旅行に行ったり、それなりに楽しんで暮らしています。 この10年で甥と姪ができました。 順調に成長をしていて、あっという間に○ちゃんの年齢を超えました。 たまに彼らと遊ばせてもらいますが、健常児は違うのだなとつくづく思います。 彼らは、次々と目の前のものに興味をもって、しげしげと眺め、触れ、舐めまわし、叩いたり、投げたりしています。 何か月かすると、言葉を理解し、声をあげて応答し、そのうちに覚えた言葉を使って延々としゃべり続けていたりします。 時々、遊んでもらう私はいいとこどりなので、とてもかわいいな、見ていて楽しいなと思います。 健常児は、特に働きかけをしなくても、いろいろなものに興味を持ち、その好奇心を満たすために手足や体を使うのは当たり前のように思います。声かけとか、相手をしてあげるということは必要なのかもしれませんが、そもそも「好奇心」という能力を持っています。 重度重複障害の○ちゃんは、身体の障害だけでなく、脳にも障害がありました。そのため好奇心があるのか、ないのかわからないし、好奇心を示すべき方法もなかったと思います。 りんごの香りで体いっぱいに力を入れて、口をパクパクしさせたことがありました。一度触れた好きなものがインプットされることはあったと思いますが、周囲にある、まだ一度も触れたことのないものに自分から興味を持つことに関してはどうかな…。目や耳の能力が弱く、体を動かす能力も弱いと、周囲を察知するアンテナもとても弱く、興味を示すことが難しいかもしれません。ただ、こちらから与えればアンテナを少しは刺激できたのかもしれません。 ○ちゃんが好きだったリハビリの先生は、ひたすら○ちゃんのアンテナを刺激し続けてくださっていたように思います。いっつも寝ていたけど、○ちゃんは寝てたわけでなく、心地よさを味わっていたのだと思います。 重度重複障害の子供と接していて感じる、ある種のむなしさみたいなものは、持っても当然だと思います。少なくとも健常児を育てる親なら、産んでから数か月~半年でその期間を脱していきます。笑ったり、追視をしないままが、ずっと続くと考えたら、かわいいけれど感じてしまう、その気持ちはいけないことではないと思います。 ただ、そんな気持ちを持ちつつも、いつか子供が反応してくれるかもしれないと信じることは無駄ではないように思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年05月05日 12時52分21秒
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