1798108 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

奥様はネットショッピングがお好き

奥様はネットショッピングがお好き

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Recent Posts

Calendar

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Free Space

設定されていません。
2017.10.05
XML
カテゴリ:旅行・おでかけ

鏡湖とも呼ばれている余呉湖は、
三万年も前に琵琶湖の一部が分かれてできたとも伝えられているそうです。(琵琶湖との落差は約50m)
風の強い日に行きましたが、山々に囲まれているためか、水面は穏やか
鏡湖と呼ばれているように、空や木々が湖面に映し出されます

見える山は 賤ケ岳だと思います







車発車してから、天女の像があることを発見^^

天女の羽衣と言うと、三保の松原を思い浮かべますが
余呉湖には、羽衣伝説が残っているのだそうです。

湖畔に、樹齢150年と言われるマルバヤナギがあり、この柳の木に羽衣をかけたそうな
柳の木というと、ほっそりして枝が垂れ下がっているイメージがありますが
とても太い木でした。

マルバヤナギの左横に説明板がありました。

  天女の衣掛柳

往古 天の八乙女が白鳥となって此の所に
舞い降り柳の木に羽衣をかけて水洛中伊香刀美
と云う人が白犬を使って末女の羽衣をかく
した。天女は羽衣が無くては天に帰れず仕方
なく伊香刀美の妻となって二男二女を生んだ。
その子孫が伊香地方を開発した祖と伝えられる。
又 別の説によると余呉の豪士、桐畠太夫の
妻となリー男を生んだ。その後天女は羽衣の隠し
場所を見つけて天に帰った。残された幼児は
母恋しく泣き続けた。
ここより一キロ程北に夜泣石がある。その
泣き声が法華経の様に聞こえるので菅山寺の
憎が引き収り養育した。菅原是清卿が菅山寺へ
参詣された切 その子を養子として引き取られ
京都で成人された方が後の菅原道具公である。
又 この柳は中国系のものである。学問の神として
祀る菅原公はこの衣掛柳の古説と北野神社の
旧跡は余呉町の旧跡として保存している。












fioreA
プレートby schocolatさん





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.10.05 18:11:38
[旅行・おでかけ] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X