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2018.04.12
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カテゴリ:

華を咲かせて400年
畑しだれ桜「都しだれ」

2018.04.10撮影 落下盛ん

甲賀市指定文化財(天然記念物) エゾヒガン桜

click右矢印 ​ミホミュージアム​から、県道に下りると「畑のしだれ桜」の案内板がでていました。
「はたけのしだれ桜」という名称から、広大な畑にポツンと1本大きな桜の木があるのだろうと、想像しながら移動しましたが、畑は畑でも地名でした。
「はたけ」ではなく「はた」と読みます
畑(はた)の地名は発田(​墾田​の義)から起こったという。
この桜は都の原産といわれ、文献によれば平安後期平家滅亡の折身寄りの人達が都落ちの際、都をしのぶために桜を持ち帰り植えたと言われ、都しだれとも言われている。
又深堂の里の由来は、(深堂山遍照院西光寺)号する寺を織田信長の焼き討ちにあい再建されたのがこの地であり、その時の記念樹として植えられたと言う説がある。
又一説には江戸時代初期、徳川家康が、江戸と京都を行き来する折、刺客を避けるため、伊賀から、多羅尾、小川、柞原から畑を通り田上不動寺を超えて瀬田、京都への道(徳川家康隠密街道といわれている)を往来したといわれている。
畑で休憩された所に桜を植えられたというのが、このしだれ桜であるという説もある。
江戸時代初期から四百年になることから樹齢四百年といわれるのである。
四世紀以上も美しい花を咲かせ、この小高い丘の上より我が郷を見守り続けてくれたのである。

ひょっとしたら、ミホミュージアムから通って来た道、徳川家康隠密街道だったかしら・・
下矢印

山桜が綺麗でした。
小高い所に、信楽焼きのたぬきさんが立っていて可愛かったです。

深堂の郷
畑しだれ桜の駐車場(公民館)に碑がありました。
深堂の郷の碑の奥に見えるのが西光寺
ミホミュージアム​からは、約20分かかりました。

次回のブログは信楽駅前の大きな狸さんの予定です
以前にも一度行ったのですが、狸さん桜バージョンになっていましたヨ




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プレートby schocolatさん





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Last updated  2018.04.12 12:44:51
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