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旅行三日目。一日船上で過ごす。夜には熊野の大花火大会を船上で観覧。
現地の人に聞いたら、熊野の花火大会は新潟の長岡とならんで超一級の花火があがるそうです。隅田川と同じ1万発であったとしても、内容が違う。隅田川は街中にあるので最大でも八寸玉くらいしか上げられない。それが熊野では最大級の三尺玉があがる。しかも岩山のすそに打ち上げ用の筒を設置しているから、音が違う。普通の花火がモノラルだとすれば、熊野はサラウンドに喩えられる。 実際に見てみると、玉の違いは一目瞭然。なにしろ花火の大きさがすごい。さらに大きく花と開いたあと、長時間にわたってしだれ柳が燃え続ける。これは三尺玉でないと到底実現できないそうです。もちろん音も腹に響き渡る重低音。凄さを堪能しました。 ただし最高の花火大会と感じられたかというと、実は今ひとつでした。というのは、最大級の花火が打ち上げられると言っても、それは全体のごく一部で、残りは普通の花火。ところが最大級の花火があまりにも大きいため、花火に近づくことができないのです。そのため普通の花火は音が小さく聞こえてしまうので、かえってちゃちに感じてしまいます。 これに比べると、今月はじめにフォレスト出版の企画で参加した東京江東区砂町花火大会はすごかった。実は砂町って僕の生まれた町で、ごく普通の下町でしかありません。都心からも少し離れて千葉に近いところです。でもそれがよかったんです。 都心を離れているせいで隅田川よりも大きな花火が上げられる。その大きな花火に屋形船で間近まで近づくことができる。すると音がすごい。花火が炸裂する音は身体の奥底を振動させてあたかもマッサージチェアーに乗っているかのごとく。さらにさらに、花火が炸裂する音だけじゃなく、ひゅるひゅるとあがっていく音まで完全に聞こえる。その臨場感は圧倒的です。 これはビジネスに通じます。いくらすごいクオリティを用意したとしても、大きな舞台で勝負しようとすると、最上級のものでないかぎり他と比べて低く見られてしまう。さらに遠隔戦、つまり売る側のパーソナリティーが見えないほど遠く離れていると、そのありがたさが半減してしまう。 つまりいかに顧客に近づくか。いかに他と比較できない市場を創造するか。そこに成功のポイントが隠されているように思います。 これはおまけ。実はこの旅行でひとつ失敗したことがあります。それは携帯電話でネットにアクセスする手段を持ってこなかったことです。いつもザウルスSL-C760にPHSのエッジを挿して持ち歩いていますから、その快適な環境に慣れきっていました。ところが船の旅ではPHSはほとんどまったくと言っていいほど使えません。 せめて八丈島に上陸したら使えるかと思ったのですが、エッジどころかau の携帯電話すらまるでつながらない。さすがドコモだけはバリバリ使えたらしく、大変悔しい思いをしました。 インターネットへのアクセス手段を失ってみて、実感したことがあります。それは自分がいかに日ごろインターネット中毒だったのかということです。 インターネットがなければやれることはたくさんあります。本も2冊読破できました。シアタールームでマトリックスを見ました。マジックショーを楽しみました。友と5時間も語り続けました。その時間がいかに充実していたことか。 読みたい本もある。見たい映画もある。それなのに読めないでいる、見れないでいるのは、インターネットで時間を浪費しているからだったのです。 かといってインターネットは便利だし、面白いし、それをストイックに制約することはなかなか難しいと感じています。だからこそ船の旅が貴重なんです。 飛行機も悪くないのですが、すぐに目的地に到着するし、オーストラリアのように丸一日かかるようなところへ行ったとしても、動けるスペースが限られている。電車も同じ。パソコンや読書もできなくはないけど、あまり適した環境じゃないですね。だから電車や飛行機の中で過ごす一番有益な方法は、眠ることだと思っています。 そういうわけで、今までは豪華客船の旅なんて、お金がかかって、時間もかかって、無駄が多いように感じていましたが、むしろその不便さにメリットがあることに気づきました。今年の年末にはグアム・サイパン10日間の旅が40万円超で企画されているのでいってみたいな。けれども一人じゃさすがに寂しいんで、誰か一緒に遊んでくれないかなぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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