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December 5, 2007
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カテゴリ:子育て

  今月12月の2日は亡き父の誕生日。3日はすーの1歳の誕生日でした。
  思えば、1年少し前、まさか出産予定より2ヶ月も早く子供が生まれるなんて
  想像もしていなかったなぁ・・・

  実はすーがお腹にいる時の検診はかなりいい加減で、
  先生に「次はだいたい2週間後に来て下さいね。」
  なんて言われても3週間後に行ったりしていました。

  そんなある11月の半ばの検診でいままで順調に来ていたのが、
  「逆子になっていますから、次の検診で治ってなかったら逆子体操しましょう。」
  と言われました。でも、ぶーの時も1度なったしそんなに気にも留めていませんでした。
  
  その日から1週間くらい経った時だったと思います。
  朝、少しの出血と下腹に痛みを感じました。
  これもぶーの時にあったので、ぶーの時ほど驚きはありませんでしたが、
  やっぱり心配なので産院に行きました。
  
  すると内診が終わった後、先生が「子宮が3cm程開いてます。経産婦さんだから、
  1度開き始まるとなかなか難しいです。
  もしどうしてもご実家でお生みになりたいのなら、
  今日か、明日にでもすぐに帰省して下さい。どうされますか?」
  と聞かれました。私はすぐには冷静にはなれませんでしたが、
  その日が平日で旦那さんがいなかったし、お腹も痛いのに高知まで1人で帰るのは
  とても無理だと判断したので、こちらで生むことを決めました。
  
  先生が続いて説明されるのには、今すぐ入院と言うわけではないけど、
  これからこの状態が続くようならすぐに入院してもらいます。
  取り合えず、張り止めのお薬を出しますので自宅療養して下さい。
  と忠告されました。

  このことは心配するので父、母には内緒で妹にだけ知らせていました。
  それから旦那さんには仕事を休んでもらったり、早く帰ってきてもらったりして
  看病してもらいましたが、一向に血は止まらないし、痛みもありました。
  夜1度タクシーで病院に行きましたが、その時はまだ大丈夫と言われました。

  最初に張り止めをもらった日から5日目。
  朝から明らかに陣痛のようなものがありました。
  病院に行こうかどうか悩んでいるうち、夜になりいつものようにご飯を食べ、
  ぜんざいまでちゃっかり食べて(こんな時でも食欲はある)、
  もう限界だ!とタクシーで産院へ!
  すぐに内診になり赤ちゃんの毛が見えかかってます!と言われました。
 
  点滴を打ってくれる看護士さんに「このまま入院ですか?」と聞くと、
  「うちの産院では未熟児が生まれたときの設備が整ってないから他の病院に移動になります。」
  と言われた時は、血の気が引く思いでした。
  それから救急車が来て搬送される私を見てぶー号泣!
  それはそうですよね・・・
  須磨区にあるこども病院周産期医療センターという大きな病院に運ばれました。
 
  ストレッチャーからベットに移され、内診をして逆子なので、
  このまま張り止めの点滴が効かなくて、お産になった場合帝王切開になります。と
  先生から説明があったときは、「大変な事になった!」と改めて実感しました。

  それから1時間位点滴を続けて、先生と看護士さんから
  「奥さんに何かありましたらすぐに連絡しますから、今日はおうちにお帰り下さい。」と
  説明を受けた旦那さんとぶーは、夜中に家にかえって行きました。

  またまたそれから1時間半位経った時先生が
  「陣痛が治まりませんね。これから緊急オペに入ります。旦那さんに連絡しますね。」
  と告げられました。可哀想なぶーと旦那さんは家に帰り着くや否やすぐにまた
  家から離れた病院に呼び出されることになりました。

  私は初めての手術で体が漫画のように震えて先生に「本当に麻酔効きますか?
  よく帝王切開の方で麻酔が効かなくてすごく痛い思いをされた方がいると聞くので。」
  とたずねたのを覚えています。 
  でも麻酔はすごくよく効いて手術中の痛みはまったくありませんでした。
  麻酔が切れた次の日からは地獄でしたが・・・

  そして、手術を受ける前に色々誓約書にサインを書かされましたが、
  その中に、赤ちゃんの無事が保証できないという内容もあり本当に心配でした。

  でもすーはわずか1504グラムで生まれてきたのにか細くはありましたが
  きちんと産声を上げてくれたので感激でした。

  生まれてすぐほとんど顔も見ることが出来ないまますーは処置室へ。
  次の日も私はまだNICUに行かせてもらえないし、
  子供が仮死状態になる可能性の説明書などにサインをするなど、
  本当に不安で悲しかったなぁ。早く赤ちゃんに会いたいなぁ。と。

  そんな感じのお産だったので、赤ちゃんが突然生まれたことは旦那さんが父に連絡してくれ、
  父から妹に連絡が行き、という風になりました。

  お産から2日目やっとすーを見に行くことが出来ました。
  1504グラムのすーは本当に小さくて、申し訳ない思いでした。
  体中に点滴や母乳を飲む管、酸素の管、心電図などがついていました。

  3日目やっと父に報告の電話をしました。今はすごく小さいけど順調に
  育ってる事を告げると父はとても安心したようでした。
  それから画数に詳しい父に名前の字画を聞いたり、しばらくメールのやり取りもしていました。
  後から、私が考えたすーの名前の、画数全てを父がメモして字画を計算した 
  紙が出てきたので、今はすーの成長記録に大切に保管しています。

  すーはまだ保育器の中だったので、私だけ先に病院から退院しました。
  それから3日位して母から急に父の容態が悪くなったと電話がありました。

  それから少しして父は入院するわけですが、すーが酸素の管、点滴の管、母乳を飲む管、
  心電図と順番に外れていくのに反して、父は点滴の管、痛み止めの管、心電図、酸素マスク、
  と1本1本管が増えていきました。

  すーが生まれたのが父が還暦の誕生日を迎えた次の日。
  点滴で遅らせなかったら多分同じ12月2日になっていたと思います。

  すーが生まれたときはほとんど胎盤が外れていた状態だったらしく、
  すごく危険な状態だったそうです。

  父がすーを救ってくれたのか、
  それともすーが父に会う為に早く生まれてきたのかは私には分かりません。

  この2人が直接触れ合った時間は限りなく少ないけど、
  でもこの2人にはなにか強い絆を感じずにはいられません。

  今年の夏、ぶーに「ほら、すーのお口まだ歯がはえてないやろ?」と
  私が言うと「ねーねーママ。じっちゃんが入ってるよ。」って言ったんですよ。

 
 
 SYOBUTOSUMIRE 033.jpg

     「私1歳になったよピンクハート















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Last updated  December 6, 2007 12:28:12 AM
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