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テーマ:ニュース(99987)
カテゴリ:つぶやき
先ほどまで、TBSの、9.11テロに関する特別番組を見ていました。
未曾有の大惨事が、発生した時、それぞれの立場で思い思いに行動した人達は、何気ない決断や行動・出会いで、生死の境目をただよっているように見えた。 その一方で、ある日本人犠牲者の父親は、 「自爆テロというのは、する側もされる側も悲惨だ」と言う。 その通りだと思う。 自分の子供を自爆テロさせるために生んだ親がどこにいるというのか。以前、別の番組で出てきていた、実行犯の母親の嘆く姿と、この父親の姿がだぶる。 その後、テロへの報復としてアメリカが始めた二つの戦争でのアメリカ兵犠牲者は、9.11テロの犠牲者数を超えており、イラク本土での一般人の犠牲者は、テロでの犠牲者の何倍もの死者を出しているという。 正しいとか間違っているとかいうのは、相対的な軸なので、どちらも、自分の論理で「正しい」と思っている方向につき進んでいる。 それが一番恐い。 あらゆる不足感(富・生命の安全等)が不安を呼び、不安が争い事の種になっている気がする。 この悪循環を断ち切るには、どうしたらいいのだろうか・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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