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カテゴリ:つぶやき
私は、大学では、文学部、しかも国語学国文学専攻という、ある意味「もっとも文学部らしい専攻」に所属してました。
構成員の25人中男性は7人だけ、という、女性多数の専攻だったんだけど、男性陣は、みんな、経済学部生のような軽さもなく、理系の工学部生ような飄々とした風もなく、「古風」に「文学青年」の「熱さ」を持っている、いいやつばっかりだった。 納豆事件についてのコメントのお返事を書いていた時に、そのうちの一人に言われた言葉を思い出したっすよ。 「何がなんだかわからないけどスゴイっていうのは、絶対、間違っている!!!」 急に怒られちゃったので、そんときはビックリしたなあ。 文系っていうと、講義とかのんびりしてたとか思われるかもしれませんが、うちの専攻は、結構ヘビイな研究発表が色々あって、チームを組んだ人間達と1ヶ月ぐらいかけて担当の部分を調べ、自分たちで発表しなくちゃならないというかなりプレッシャーのある講座もあったんですよね。 んで、私達の班の直前の班の発表を見て、資料も色々作っているし頑張っている、すごいなあ、と私が言った時に、同級生のO君は、上記の言葉を発して怒ったのでした。 「ここがこうだからすごい、というのはいい。だけど、内容がわかってないってことは、その内容が本当にすごいのかヘボなのかわからんってことだろ。見掛け倒しにだまされたらダメ。判断は、ある程度わかる努力をしてから下せ。」 ははーっ。おっしゃるとおりでございます。 ちょっと、学生運動の頃にタイムスリップしたような思想を持っていた人だったけれど、この言葉は私にかなり大きな影響がありました。 今回のあるあるの件でも、偽造をしていたとは言え、それが本当に正しいのかの判断を、全てテレビ側に握らせたままで下すのはキケンなんじゃないか、そう感じ、O君の言葉を思い出した私です。 よーわからんけど、知ったような気になってることとか、なんかしらんけどスゴイ、立派だ、と思いこんでいること、ありませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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