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テーマ:詩と詞(ことば)(499)
カテゴリ:雑事諸々
ある晴れた日、ふと頭上を臨むと一羽の白鷺が飛んでいました。 雲もなく、風もなく、そんな穏やかな晴天。 真っ青なスクリーンを背に悠々と飛ぶ姿は美しくもあり、また寂しげでもある……。 ふと、一首の短歌が脳裏によぎりました。 しらとりは かなしからずや そらのあお うみのあをにも そまずただよふ この歌は若山牧水という人の代表的な作品です。 牧水は明治の昔、宮崎県に生まれ、昭和初期に沼津で息を引き取るまで俳句や短歌を 数多く生み出した…言うなれば言葉のプロフェッショナルですね。 読書好きの私ですが、不思議と近代文学はあまり好みではありません。 特にこの時代「明治~昭和初期」の作品は何となく拒絶反応を示し、有名な文豪の作品も ごく有名なものしか目を通していないような始末です だけど、この短歌はとても心にしみました。 私自身の受け取り方としては短歌というより詩に近いような…そんな感じがするんですけれど 「白い鳥は哀しくないのかな? 青い海や蒼い空の中を飛びながらも、その色に染まることもなくて。」 「人間だって切なくなっちゃうよね。 周りの色がパステルだとしたら、ビビッドカラーの私は浮いてる。」 初めて目にした時、私はこう重ねて考えてしまいました。 ○○君が好き、この雑誌の服が可愛い、あの歌のCD買った?…の女の子の群れ 半兵衛なら好き、この写真集の刀が素敵、雅楽アンサンブルCD買ったぜ♪…な私 無理に合わせる気にもなれず、だからと言って自分の話題を無理に振ることもできず、 結局「聞き上手」を演じる大根役者。 毎日が仮面舞踏会気分で、しまいには自分が何者かも分からなくなってしまって、 素顔の自分がどうだったのか忘れてしまった頃に出会ったこの歌は、痛いほど心に刺さりました。 それから時が流れて、今。 答えが出せなかった「哀しからずや」に自然と答えが出ていること、先日気付きました。 悠々と羽ばたく白鷺は堂々として見えて、空の青を従えているようにさえ見えます。 降り立った川辺で羽を休め、蒼の中で一本足休憩。 寂しくもないし楽しくもなく、ただ自然に生きてるだけ? 寂しそうに見えるのは、見ている側の人間が寂しいから? きっと牧水自身が物悲しい想いを抱えていたから、海上を飛ぶ鳥が寂しげに見えたんだろうな。 自由はどこか孤独を孕み、孤独を選べば自由は手の中。 誰か、何か、と共に生きることを選んだ時点で生まれる不自由。 世の中って、表と裏とが両方揃って初めて一つの物事を生みだすように出来ているのですね。 ちょっと切なかった過去の私へ、もし手紙を出せるならば一文だけ届けたい。 そして、同じように「何となくの物悲しさ」を感じている人がいればその人にも……。 強気は無敵☆ …何て素敵な響きなのでしょう♪ 結局、誰しも一番の敵は自分ってことかな 身も蓋もない結論に行きつきましたお気楽関西人でした んんん~? 今日の私ってば、ちょっぴしポエミーじゃ~ん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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