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2005.05.17
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この前、SLに乗ったから思い出しました。そういえばカンチャナブリに展示さえているSLは日本製だったかな?と
2005-05-17 17:56:01

別名を“死の鉄道”といわれる泰緬鉄道は、第二次世界大戦にシンガポール経由でビルマ・インド戦線へ軍需物資を送ることが困難になりつつあった日本軍にとっての、内陸部を通る新しい輸送路として計画されました。同盟国のタイからビルマへとジャングルを抜けて走る総全長415Km(タイ側263Km、ビルマ側152Km)にわたる鉄道は、1942年(昭和17年)9月16日タイ側のノンプラドックにおいて建設が開始されました。この難工事には、約3万人の連合軍捕虜兵士、10万人以上のアジア人強制労働者(中国、インドネシア、ビルマ、マレーシア、インド、シンガポール、タイ)が投入され、そのうちの捕虜約1万6千人、そしてアジア人労働者10万人のほとんどすべてが、熱帯のジャングルのさまざまな疫病にかかり、医療品の不足などで死亡しました。

戦中に調査を行った日本の技術者たちは、泰緬鉄道の建設には最低5年を要するとの結果だったが、日本陸軍は戦局のひっ迫からわずか16ヶ月の突貫工事を試みたため、鉄道は翌1943年(昭和18年)12月25日、15ヶ月余という驚くべき早さで開通し、またそのために多くの犠牲をも生むことになりました。

2005-05-17 17:44:49

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↓何も知らずに、カンチャナブリを訪れていた私にとって衝撃的な映画でした

エンド・オブ・オール・ウォーズエンド・オブ・オール・ウォーズ





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最終更新日  2005.05.17 18:45:42
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