テーマ:自分と向きあってみよう(19)
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「個性を重視」とか、「個性を伸ばす」という言葉が、学校のモットーとして聞かれなくなって(?)久しいですが、しょせん「個性」は教育でどうこうできるものではありません。また、「日本人は個性がない」というような変な脅しも、最近では、もう言われなくなりほっとしています。何人であってもみんな、どうしたって、一人一人が違っていて、みんなそれぞれ個性的な存在なのですから。
しかし、個性をことさら際立たせようとして、日常生活や公共の場で奇行に走ったりすることは、方法として間違っているでしょう。あふれんばかりの個性の発露は、ぜひ、許されるところで、思う存分すべきです。許される場所というのは、音楽や踊り、演劇、絵画、などなど、あらゆる表現の場です。普段の生活は、ごくごく普通でいいのです。 「自由」を日常生活や公共の場に持ち込むのは、はきちがえです。生活や公共の場には決まりごとと抑制があります(大人たちは、もっとはっきり言いましょう)。逆に人前ではおとなしくなったり、恥ずかしがったり、きまりごとをつくって安心していませんか?すべてが自由な表現の場でこそ、この世で唯一無二の個性を発揮しようではあ~りませんか。 フィドルの世界は、「自由」がいっぱいです。バリエーションのつけ方から、メロディーのアレンジ、リズム、持ち方弾き方、音程、何の楽器を取り合わせるかにいたるまで、伝統音楽の枠組みの中で(ときに、それを超えてまで)自由に遊ぶことが許されます。そして、最後に全部ひっくるめて「スタイル」、すなわち、「個性」だというのです。 私にはそれがとても愉快に感じたと同時に、この楽しみは自分にとって終わりがないなと思ったものです。しかし、こういう音楽の楽しみ方を「自由」の扱いに不慣れな、「個性」に自信のない日本の人にどうしたら分かってもらえるか、今もって方法を模索中です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月26日 00時39分27秒
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