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フィドル上達法

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2006年07月17日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
クラシック音楽のバイオリンを物まねでもやっている人たちにとって、それは疑いもなく芸術でしょう。(うっ。ちょっと毒舌だったかな)

でも、あのすごい、時にはうっとりするフィドルの演奏が芸術であるか、ないのか語られたことはいまだかつて一度もないと思います。音楽は、おしゃべりやカードゲームなどと同じ生活の楽しみの一部であったので、それが芸術だ!ということになると、おしゃべりも、それじゃ芸術かい?とおかしなことになってしまうのです。

しかし、芸術の定義をこんなふうに定めたらどうでしょう?
「全体的な美」、「完全な美」

と、すれば、クラシック音楽では音楽の性質上、目指す到達点に達していないものは完全でないので芸術でなく、伝統音楽のフィドラーは個々に完全である音楽の性質上、どんな人のもすべて芸術であるとなります。

あっ。しかし、それもフィドラー自身で拒否している部分がありました。舞台で演奏するときも、普段着なのです。特に男性は、たいてい首がよれたTシャツか、チェックのダサシャツと決まっているのです。

やっぱり、結論。服装が完璧でないので、芸術ではありません。なんだか、「星の王子様」にでてくるトルコ人の天文学者のような話でしょう?








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最終更新日  2006年07月17日 23時20分16秒


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