カテゴリ:カテゴリ未分類
外国の伝統文化を習う身でありますが、日本人としての自分自身を振り返ると受け継いだものがあまりに乏しくて恥ずかしくなります。
小学1年生で戦後を迎えたわたしの母は、教科書を墨で塗りつぶし、アメリカの歴史や地理を習った「価値観逆転の世代」です。物質主義、家事負担平等、女性の自立、個人としての結婚に夫の親族の付き合いは含まれません。そんな時代に先んじて新しい経験を積んできた母ですが、価値観は混沌としていて、話しているといったいなに人なのか分からない感じです。古いものをいくら捨ててもアメリカ人にはなれないのです。 そういう伝統が断絶された状況で生まれた私は、大人になって大変困りました。お乳のあげ方がわからない。子供の育て方だ分からない。何を食べたらいいか分からない。近所の付き合い方が分からない。そんなとき、私は母を飛び越して向こうの人々、つまり、祖母や先人たちのやり方を尋ねなければいけませんでした。その方法が2000年来の日本人としての心と体に必ずいいはずだと思ったのです。母の新しい経験は彼女自身のもので、次世代に伝えられるものではなかったからです。 こうして、戦争によっていったん失われた生活の中での「伝統」を取り戻すのに私は必死でした。伝統が生きていくのに必要だったからです。明治生まれの祖母が話し上手で長生きしてくれたことが私にとって幸いでした。母の「職場の人とうまくやっていく秘訣」を聞くよりも、祖母から「ふすまの開け閉め」を教わることのほうがずっと尊いことでした。祖母から世界の人から尊敬されるべき日本人の精神的な美徳や、困っている人を物心両面で助ける行動力を見せてもらいました。 要するに、祖母は精神性を重んじていました。今になって、日本中が求めているものが、昔の人がちゃんと伝えようとしていたのではないかなと思います。目には見えない伝統はいったん手の中からすり抜けてしまったら、地面にころがった自分の目(トロル伝説)を探すようなものです。 外国の伝統音楽も急激な変化と昔のスタイルの消滅がいわれるようですが、そういう危機感は共感するなあ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年09月15日 12時17分51秒
|
|