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私が3人の娘と訪れて一番楽しい場所は、人気のアミューズメントパークではなく近くの神社です。
清らかな神社の地に守られて、子供たちは、恥ずかしそうに小さな手を合わす。自分よりずっと大きな存在に気づき、畏れ敬う。小さいときになくてはならない体験です。 とはいっても、戦後アメリカの教育を受けた断絶の世代に育てられた私は、お参りができても、家の中に神棚を奉るやり方がまったく分からない。日本人として2000年の歴史と伝統を取り戻す最後のチャンスでもあるので、何とかして教えてくれる人にめぐり合いたいと思います。 音楽についてだけ情報を入れたい人にとって、こんな話は見当違いな話かもしれません。でも、クラシック音楽のように音楽を生活から切り離して芸術にするのでないかぎり、伝統の音楽は、私たちの日々の生きかたを写したものであり、汗と土のにおいにまみれた生活の延長にあるはずなのです。生活に祈りがあるのはどの国でもどの民族でも当然であって、ないほうが、というより、ちゃんとあったのに急になくしてしまった今のほうがおかしい。 外国の人に「日本人は何を信じているの?」と聞かれて(実際よく聞かれる)、まさか、本気で「無宗教。」と答える人はいないとは思うけど、「日本には八百万の神々がいて、神は太陽にも木々にも川にもどんなものにでも宿っている。私たちの大事な主食であるお米一粒には3人の神様がいると信じている。だから、宗教は日に何度も祈ったりどこかに集まったりするのではなく、食事に前にいただきますという風に、むしろ習慣になっている。仏教は、6世紀にインドから中国を経由して入ってきたが、日本に根付いている。仏教は生き方を示し、哲学のように考えられているので、仏教と神教は宗教対立することはなく、普通は、どちらも信じられている・・・。」と説明できるようになりたいし、子供たちにはなって欲しいのです。 外国の伝統音楽をやっていても私は日本人だ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月16日 10時43分03秒
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