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2007年01月19日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日の夜は、「アイルランド史入門」という本を読んだ。入門というだけあって、民族の移動からはじまって、この本がかかれた1960年代ころの状況まで、ほんとうにかいつまんである。全体像を見渡すにはちょうどいい。

歴史書には必ず書き手の立場と思い入れが入っているはずであるので、そこらへんを割り引いて読まなければいけないと思っている。案の定、日本人の訳者が書いた前書きに「アイルランド人はケルト人の血をひくきわめて優秀な民族で」とあって仰天した。こういう書き方は無責任だ。これでは「アーリア人は世界一優秀な民族だ」というのとかわらない。こういうことがすらっといえてしまうのは学者としておかしい。

つっこみを入れつつ読み進めながらも、長年にわたるイギリスの仕打ちは残酷なまでにすさまじい。おそらく他の植民地に対してやった手口もそれ以上かと想像できる。アイルランドであったことの方がまだ、アフリカやアジアなどであったことよりもまだ文字となり私たちに届くだろう。それにしても、中世にあった虐殺や餓死者などの死者の数はどうやって見積もったのだろう。数がすごく多い。

一番気になったのは、17世紀ごろには文化的なものはほとんどすべて失っていることです。人民はその頃までにほとんど人間性まで貶められ野蛮な状態においておかれている。伝統の音楽は17~18世紀がその起源といわれているので、いったんはなにもなくなったところから出てきたということか。連綿とした歴史や文化をもつ私たち日本人が認識する「伝統」とそこら辺にずれがあるのではないかと思う。何もかも失い虐げられ極限を生きる人々が最後の一抹の希望が歌やダンスや音楽だったと考えると、悲しいまでのメロディーが理解できる。

ここの認識のずれはこの音楽を理解するうえで重要なポイントだ。見過ごしてはいけないし、もっとよく考えなくてはいけない。でないと、「ケルティック」とか「素朴な農民」とか「伝統の正しい存続」という響きのいい言葉に本質を見失ってしまいそうになる。






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最終更新日  2007年01月20日 00時33分15秒


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