カテゴリ:音楽について
先日、うちで飼っていたセキセイインコのリトルが死にました。
ペットを飼ったことがない人、小鳥を飼ったことがない人にとっては、 それが悲しくてたまらないのです、と言っても、理解できないと思いますが、 ほかの種類の生き物と心の交流がある知らない世界の話、と思っていただければ幸いです。 とにかく、私の家族のメンバーと昨日まで楽しく暮らしていた小鳥がいなくなって、 家族一同、喪失感にさいなまれています。 このリトルは、古文の竹取物語や徒然草を暗唱するおしゃべりインコでしたが、 音楽が好きで、うちで聞こえる楽器の、フィドルとギターとピアノ、まれにアコーディオンの中でも、とりわけフィドルの音色が大好きでした。 フィドルは、私の子供も弾くのですが、 子供が弾くときは、うまい時は「いいね!」という感じで、一緒に歌ってくれるのですが、 鳥的に!?、そうでもないと思っているらしいときは、歌ってくれないのです。 私が弾くときは、音階練習の時から歌ってくれて、 曲に入ると、熱心に歌詞をつけて歌ってくれます。 私が、ぴた、と不意に演奏を止めると、小鳥も、ぴた、と、歌うのをやめるので、 それを何度もやってみて、 まるで、歌の「だるまさんが転んだ」みたいだと、可笑しかったものです。 手乗りなので、かごから出して遊んでいるときに、私が演奏してる左肩に留まって、フィドルの楽器に片足を少し掛けてみて、 「足がしびれるね~、ヴァイオリンすごい振動だね~。」と言わんばかりに楽しんだり、 弓を枝に見立てて、動いている弓に留まられるのは勘弁でしたが。 小鳥は、夜が早く7時半には暗幕をかけて寝せるのですが、 私のフィドルの音が聞こえると、寝ていたのに暗幕の中で歌ってくれたものです。 そんな私の一番のフィドルファンの小鳥が死んだのです。まだ2歳半で、元気な若いオスでした。 あまりに急でしたので、いまでも、まだ、そこにいるような錯覚に襲われます。 もう、一緒には歌ってくれませんが、私は、これからフィドルを弾くときは、 リトルに喜んでもらえるように、リトルに聞かせてあげる気持ちで弾こうと思います。 そして、音楽が、悲しみによりそうものである、というのを、今ほど、しみじみと感じたことはありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年11月09日 14時42分56秒
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