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カテゴリ:’13ドラマ
「敗戦の責任」
第21回の視聴率は、前回の13.7%より少し上がって、14.1%でした。 錦の御旗に負けたという感じでしたね(^^;) 孝明天皇が生きていれば、全然、違ったでしょうけれど、彼の死後、朝廷は薩長の新政府に取り込まれていたのでしょう。 その旗が偽物だと文句を言っても、新天皇は新政府を認めていたのでしょうから、岩倉達が勝手に作った旗であっても、後で天皇の許可を受ければ本物という事になるでしょう。 勝てば官軍ですから(^^;) その辺、どうなのでしょうか?
三郎の死、ちょっとがっかりでした(汗) 鉄砲隊なのに、なぜあそこで一人、敵に向かって走り出す?(^^;) 急いでいるのにタクシーを使わないで走って行くみたいなドラマ的演出みたいでした(^^;)
そして、最後に、修理の切腹。 恭順(降参)を決めたのは慶喜自身で、彼に言いくるめられて江戸へ一緒に行ってしまった容保、情けないと思います。 彼らの責めを代わりに押し付けられて、軍師?(軍事奉行添役)は辛いですね(^^;) 容保は修理に切腹の命を出しましたが、切腹予定の夜、見張りを緩めて密かに逃がそうとしました。 でも、殿が分かっていてくれさえすればよいと、修理は潔く、切腹しました。
辞世の句 「帰り来ん時よと 親のおもふ頃 はかなき便り きくべかりけり」
死を目前にして、修理が勝に送った漢詩 「努力報国家眞僕所願也」 (力を務め 国家に報いんは 真に僕の願う所なり)
容保は、修理の切腹した刀を献上されて、 「わしの代わりに負け戦の責めを負うたか。修理・・・逃がしてやりたかった」と泣きました。
陰で逃げろと言われても、会津男子なら逃げないでしょう(汗) いつの世も中間管理職は責任を押し付けられて、大変ですね(^^;)
最初に戻ります。 慶喜は、兵達の前で「大義は我らにある! 最後の一兵になるまで戦い抜くぞ!」 そう言いましたが、その後で、修理が慶喜に内密に進言しました。 修理「恐れながらに申し上げます。 我が軍勢、兵の数こそ、敵に勝っておりまするが、軍略が乏しく、このまま、戦を続けては兵を失うばかりと拝察つかまつりまする」 慶喜「分かっておる。 では、いかがすればよい。申してみよ」 修理「兵達を率いて、一旦、江戸に戻り、戦略を立て直すべきかと存じまする」 慶喜「江戸に戻る?・・・なるほどのう」
でも、慶喜は兵達を率いず、皆に内緒で、容保だけ連れて江戸へ逃げてしまいました。 戦略を立て直すつもりなどなく、ただ逃げたのでしょう(汗)
慶喜「江戸に戻る。ついて参れ」 容保「兵達が引き上げている途中にござります」 慶喜「兵は置いて行く。我らが城を出る事、家臣達にも口外無用」 容保「なんと?!」 慶喜「榎本の軍艦が停泊している。 今宵のうちに乗り込み、江戸に向かうのだ」 容保「それはなりませぬ。 最後の一騎まで戦い抜くと仰せになったではありませぬか」 慶喜「あれは・・・皆の動揺を鎮める方便だ。 一旦、江戸に戻り、再起を図る」 容保「では、尚の事、全軍を率いて戻るべきにござりまする」 慶喜「馬鹿を申すな! それでは江戸に着くまでに、また戦となる。 そなた一人で余と共に来るのじゃ」 容保「いいえ! それがしは藩士と共に残りまする!」 慶喜「ならぬ! そなたがここにいては会津兵がいつまで経っても戦をやめぬ。 偽物とはいえ、錦旗が上がった上は、兵を引かねば徳川は朝敵となるのだぞ。 会津の家訓に徳川を朝敵にせよとの一条があるのか?」 容保「・・・」 慶喜「会津殿、この策は神保修理が戦況の報告に折に進言したものぞ」 容保「まさか?!」 慶喜「皆を救うための策じゃ これしかない! 家臣達が朝敵の汚名をきて死んでも良いのか?!」 容保「・・・」
丁度、来ていた軍艦奉行、榎本の軍艦「開陽丸」を乗っ取って、江戸に。 いち早く気付いた修理は止めようと、後を追いましたが、もう船は出てしまった後で・・・ 皆は、修理が帰ってくる前に気づいたので、修理が2人を逃がしたと勘違い。 殿が自分達を捨てて逃げたと、会津藩士達はショックを受け、その怒りは修理に向かいました。 会津藩士達も仕方なく、江戸に向かいました。 でも、すぐに、新政府から慶喜に追討令が出て、会津と桑名は第2等の朝敵とされてしまいました。
容保は、慶喜と一緒に逃げたのなら、一緒に降伏すべきでしょう。 降伏する気がないのなら、修理が進言した通り、皆と一緒に江戸に戻って、戦略を立て直すべきだったのでは? 戦場から総大将だけ逃げて、再起を図るなんて、無理でしょう(汗) そんな言葉を信じたとしたら、頭悪いとしか思えないですが(汗) それとも、容保は命じられたら、何でも嫌と言えないタイプ? 大体、修理が自分の殿ではなく、慶喜にいきなり進言するなんて、信じられないですが(汗) でも、容保が一緒に逃げたのも史実だし、修理が切腹させられた事も史実なので、容保にがっかりでした(^^;)
会津藩は、慶喜から江戸城登城を禁じられてしまいました。 慶喜は、家老も全部、解任し、新政府軍に全面降伏しました。 慶喜は卑怯ですが、さっさと負けを認めて、潔い気もします(^^;)
会津は、朝敵とされた上、徳川からも見放され・・・ 修理は切腹させられてしまいましたが、これだけでは終わらないですね。 むしろ、会津藩の悲劇は、ここから加速されてしまうでしょう(涙) 容保は、孝明天皇のために割に合わない京都守護職を続けて宸翰も貰ったのに、朝敵とされてしまい、お気の毒です。 たった一人の死で状況が変わってしまい、孝明天皇が暗殺されたという説があるのも頷けます。 まさに、「勝てば官軍、負ければ賊軍」でした。
予告編で、八重が三郎の仇を取るような事を言っていましたが、仇どころか自分の命も危なくなりそう(汗) 今回は、八重の出番、とても少なかったです(汗) いいドラマだとは思いますが、負けた会津藩がメインなので、辛いです(^^;) 今回は、敗戦の責任を押し付けられた修理がメインでした。
次回は、「弟のかたき」です。 江戸城の無血開城もあり、会津藩の今後の運命とは逆ですね。 慶喜みたいに、さっさと降伏してしまった方が下々にはいいかも?(^^;) 「ならぬ事はならぬ」の頑固さと、「御家訓15カ条」を愚直なまでに守り通してきた会津藩士達の生真面目さが裏目に出そうです(汗) 尚之助は、義父・権八に、この戦、恭順した方がいいと言いましたが、権八は「ならぬ事はならぬ」と反対しました。 八重も父と同じ考えのようです。 銃弾など準備するよう、尚之助は八重に命じました。
【第21回あらすじ】 (Yahooテレビより) 鳥羽伏見の戦いで会津藩が苦戦を強いられる中、会津では八重(綾瀬はるか)が、修理(斎藤工)の無事を祈る雪(芦名星)を励ましていた。だが薩摩方は、みかどの旗印である錦の御旗を揚げる。錦旗の知らせは戦場を駆け巡り、旧幕府軍は撤退。慶喜(小泉孝太郎)は諸藩の将に最後の一騎となるまで戦い抜くと宣言するが、容保(綾野剛)は危うい思いで見ていた。戦況は好転せず、初陣を飾ったばかりの三郎(工藤阿須加)が敵弾に倒れてしまう。敗色を察した慶喜は、夜陰に乗じて容保を道連れにひそかに大坂を脱出。藩士らも後を追うように江戸へ敗走する。会津には徳川と共に朝敵の裁定が下され、敗戦の責任は、慶喜に江戸へいったん戻ることを進言した修理一人が負うことになる。
【視聴率推移とレビューリンク】 (視聴率は関東地区) [第1回]21.4% [第2回]18.8% [第3回]18.1% [第4回]18.2% [第5回]18.1% [第6回]15.3% [第7回]17.5% [第8回]15.6% [第9回]15.1% [第10回]12.6% [第11回]14.3% [第12回]13.9% [第13回]14.3% [第14回]11.7% [第15回]14.2% [第16回]13.8% [第17回]13.7% [第18回]15.7% [第19回]15.0% [第20回]13.7% [第21回]14.1%
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