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テーマ:ニュース(100263)
カテゴリ:芸能
京唄子さん(89歳)が6日午前、肺炎のため大阪市内の病院で死去されたそうです。
7日に通夜が行われ、葬儀・告別式は8日に行われるとのこと。 京唄子さんは、故鳳啓助さんとの夫婦漫才で有名ですが、『やんちゃくれ』(1998年後期)や『おんなは度胸』(1992年前期)、『心はいつもラムネ色』(1984年後期)など、5本も朝ドラに出演されています。 『渡る世間は鬼ばかり』にも、岡倉長子(藤田朋子)の義母、本間常子役で出演されています。 漫才も面白かったですが、女優としても存在感がありました(^^) ご冥福を祈り致します。。。 - - 【参考ニュース】 「唄子・啓助」で人気の京唄子さん死去…5日桜の話するも食べ物詰まらせ体調悪化 故鳳啓助さんとの夫婦漫才で親しまれ、女優でも活躍した京唄子(きょう・うたこ、本名・鵜島ウタ子=うじま・うたこ)さんが6日午前10時33分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。89歳だった。大きな口がトレードマークで、啓助さんとは離婚後も息の合った漫才芸を披露。女優としても、TBS系「渡る世間は鬼ばかり」シリーズなどで存在感を見せた。近年は体調を崩し、半年前から入院していた。通夜は7日、大阪市内で近親者のみで行われた。 最期は、最初の夫との間にもうけた長女、節子さん(67)と現在の夫で俳優、萩清二(79)の2人で看取った。表情はやすらかで眠るようだったという。亡くなる前日の5日には桜の話をしていたが、のどに食べ物を詰まらせて、体調が悪化していた。 唄子さんは2009年に腰椎を圧迫骨折し、出演予定だった舞台を降板。2度の手術を受けた。13年に再び腰のけがで2カ月入院。退院後は自宅療養を続けてきた。 昨年9月に体調を崩して大阪市内の病院に入院。長年マネジャーを務めた井川タカ子さんによると、最近はペースト状のものを食し、話すことができない状態だったが、井川さんの言うことは理解していたという。 京都簡易保険局に勤めていた唄子さんは終戦直後の1945年、人気女優、宮城千賀子さんの主宰劇団「なでしこ」に入り、京町歌子の芸名で活躍。その後、女剣劇「瀬川信子劇団」で知り合った鳳啓助さんの説得で京唄子に改名し、56年に漫才コンビ、唄子・啓助を結成。「大口」「カッパ」をそれぞれの代名詞に人気者となり、2人は結婚した。 速射砲のような悪口を浴びせかける唄子さんの「大口」は、1962年から出演したドラマ「てなもんや三度笠」で“吸い込み”ネタに発展。それが縁で掃除機のCMにも起用されたことも。 69年から16年間続いたフジテレビ系トーク番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」では、一般人の熟年夫婦を招き、なれそめや性生活などを絶妙のタイミングで笑いに包んで引き出した。苦労話を聞いた際には大粒の涙をぼろぼろ流し、人情味あふれる一面をお茶の間に知らしめた。 女優としても、NHK朝ドラ「おんなは度胸」やテレビ朝日系時代劇「遠山の金さん」などで存在感を発揮。なかでも「渡鬼」シリーズで演じた岡倉長子(藤田朋子、51)の義母、本間常子役は晩年の代表作となった。 離婚してもコンビを続けた啓助さんが、94年8月8日に71歳で死去。09年の腰椎骨折後は手術などで休養したが、10年10月に「渡鬼」の最終シリーズで1年半ぶりに復帰した。 私生活では4度結婚。08年に上方演芸資料館による「上方演芸の殿堂入り」表彰を「唄子・啓助」で受けた。「大口」で豪快に笑う姿は、もう見られない。 - 澤田隆治が選んだ 爆笑!漫才傑作集(4) [ 京唄子/鳳啓助/他 ] 単行本 タレント関連本 「花も嵐も踏みこえて」京唄子 【中古】 srv7857 極道の2号たち 出演:藤森夕子 京唄子 六平直政 監督:石原興 【VHS】【中古】【ビデオです】 - -
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