カテゴリ:不真面目文学
[画像・白い大輪八重桜] 老いても死なず、揃って樹になりたいと願うほどお互いを愛した老夫婦バウシスとフィレモンは、いずれその想いを叶えられた。 死の瞬間にお互いが樹に変身して行くのを見極め、最後の瞬時に愛の言葉を贈り合い、その差し伸べた手は交差し合う枝になり、並んで樹になる。 彼等は、「カシワ」と「ボダイジュ」になったと伝えられている。 欲張りなアタクシだったら、きっと「桜」になりたいだろう。 それも願わくば、仲間の「桜」に見守られて咲く、おおらかな白い八重桜に。 アリス・シーボルドの本で、主人公の少女・スージーが「天国」に到着する。 しばらくして、彼女は一人一人の「天国」は違う事に気がつく。 彼女に見える「天国」が、皆の「天国」ではないのだ。 たどり着く「天国」とは、「その人がイメージする『天国』」なのだそうだ。 アタクシの天国では、毎日毎日、白い八重桜の花びらが散り続いてほしい。 スージーの天国では、彼方にサッカーのゴールポーストが見えて、フィールドで逞しい女性がジャヴェリンやショットプットを投げている。 フィールドの彼女等は皆それぞれの「天国」にいて、彼女等の「天国」はスージーのそれとまったく同じな訳ではないけれど、共通点があるので共存する。 そしてスージーは天国の法則を教わる。 「望めば、本当に望み、何故それを望むか理解すれば、 本当に理解すれば、それは現れるんです」 でも、天国でも、規則がある。 いくらスージーが望んでも、「成長」を経験する事は出来ず、彼女が生き返る事も許されず、嘆く両親を慰める事も出来ず、彼女を虐殺した犯人をすぐさまこらしめる事もできない。 天国でスージーはいつしか友達もでき、大好きな犬達に囲まれて平和な日々を過ごす。 そして毎日、遺された家族の生活を覗く。 スージーが殺害されて以来の初雪が降る。 それに気付き、彼女の父は呟く。 『聞こえるよ、ハニー』って私に言った。私は黙ってたのに。『なんだい?』 パパの目の前の枯れたゼラニュウムに集中した。それを咲かせる事が出来れば、 こたえを伝えてあげられると思った。私の天国では咲いた。私の天国では、 ゼラニュウムの花びらが腰まで渦を巻いた。地上では、何も起こらなかった。 - - - この本でアタクシの一番好きな件は、何気ない数行かもしれない。 個人の「天国」ではなく、それらを全て含む「大きな天国」には、静かな部屋がある。 そこでは、誰かと一緒に隣同士、座っている事ができる。 手を繋ぎ、何も言わなくてもいい部屋。 何の主張も要求もせずにいい所。 言い訳がいらない所。 - - - nicht wahr? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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