on the other side of the world

[画像・夕日と雲と月の屑]

ナポレオンが退位宣言に署名した時も、ヴィクトル・ユゴーが「レ・ミゼラブル」を綴った時も、この j.herbin社のインクを使用したらしい。

そんな事は知らずに学生時代から愛用していた。いつの間にか何色も何色も集めてしまっている。ガラス瓶にペン置きが仕込まれていて、発色が優雅。

特に気に入っているのは「月の屑」、くすんだ臙脂色。変な色だ。変なついでに、ローズ・ウォーターやシャ○ルの香水を数滴だけカートリッジに混ぜ込んだりしてしまう。



エルバンのインクは、扱っている店がとてもとても少ない。この街で二カ所しかなかった。

その内一軒が閉鎖してしまい、顔馴染みのもう一軒も扱わなくなってしまった。

しょんぼり。



なので、ふと通りかかった新しいお洒落な文房具屋で綺麗に整列しているのを見かけたとき、嬉しくてつい聞いてしまった。

インクなんてもう使い切れないほどあるのに。



「月の屑」の在庫ありますか？

「えっと～～」とおじさん。

並んでいるインクを全部調べてくれた。「ないね～～、ちょっと待ってね！」と後にひっこんでしまった。

あ、え、いいです、もう一瓶持ってますし、嬉しくなって聞いてみちゃっただけですから...　なんて言えなくなってしまった。



後から大きなエルバンの箱をえっちらおっちら持ち出してきて、一瓶づつカウンターに並べてくれるのだが、「月の屑」はない。

それに、どれもこれももう持っている色。

「ごめんね～～、せっかく聞いてくれたのにね～～」と並べながらすまなそうな顔をするおじさん。

いえいえいえいえいえ、謝らないで下さい...

かちゃん、とカウンターに置かれた最後の一瓶は曇り空の灰色、雲のグレーだった。



あ！これ持ってません！



...お店を出てから、お情けでインク買っちゃうヤツって世界中探しても他にいないんじゃないか、と笑われてしまった。