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☆タムちゃんキョンちゃんの青い空☆

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2006.12.15
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カテゴリ:子供への想い。
(トップにある 絵本バージョンから 続けて読んでください)

えへへ。(⌒▽⌒ゞ

もうおわかりでしょう。これを書いたのはわたしとタム。

1年前 親子読書会で絵本を作る機会があって
創作でもよかったんだけど どうせならと思ってこれを書いた。
(趣旨がちがったかもしれないけど)
出来上がってからみんなの前で発表しました。


ぶん・えは わたし。
字をかいたのと 色を塗ったのはタム。
合作です。
時間もなかったし なにぶん素人なのでうまくは書けなかったんだけど。



もしかしたら生まれてきてなかったかもしれないタム。

5ヶ月で1センチ開いちゃった子宮。
つわりで入院してて ようやく退院する10分前なにげなく入ったトイレで
針の先ほどの出血に気がついた私。
それを看護師さんに何気なく訴えた私。
退院寸前にも関わらず それをちゃんと先生に伝えてくれた看護師さん。
それをちゃんと診て判断してくれた先生。
外来から車椅子を押してくれた看護師さん。
毎日お見舞いに来てくれたパパ。
24時間の点滴を切らすことなく詰め替えてくれた看護師さんたち。
そして毎日嫌な顔ひとつせず便器を代えてくれた助産婦さん。
入院時友達になった人たち。
私のリクエストに答えて パンを買ってきてくれたその旦那さん。


挙げたらキリがないほど
いろんな人の助けを受けて タムはこの世に生まれてきた。

私が人との出会いを大切にするようになったのは
この件がきっかけかもしれないと今思った。



5ヶ月で子宮が開くなんて絶対もうダメだと思ったし 
もし生まれても未熟児になると思ってた。

それどころか ベッドから起き上がってもいけないぐらいの絶対安静の長い入院生活だったので ノイローゼになって大暴れして 鎮静剤を打たれたこともあった。

ご飯も寝たまま。
トイレだけは 傍らのポータブルに許されたけど 1歩と歩かない。
便をしたあと 看護婦さんを呼ぶのがいや。
いつ見ても同じ景色。
下の道路を通る車たちは ここから 絶対安静の妊婦が 外に出たくてずっと見ていること 気づきもしないまま毎日楽しく過ごしているんだろうなぁ。
毎日毎日そう思ってた。

「ママもこんだけがんばってるんだから あんたももう未熟児で生まれてきなさいよ!!!」って念じて 張り止めの点滴をこっそり止めたり 長い間ベッドサイドに座ったりもした。
おなかが張ったらやったーと思い とにかく 赤ちゃんのことより 自分のことしか 考えられなかった。「出て来い出て来い」と 思ってた。

手作りのカレンダーには 1日1日が終わったあと塗りつぶした黒丸がある。
毎朝 「昨日の分」を塗りつぶすのが 日課だった。
とにかく 次の日にならないと 1日が終わった気がしなかった。
だから あえて 翌日に 昨日の分を 塗りつぶしていた。

日記を書くのも日課だった。
自分だけ自由に動き回って 売店にすら気持ちよくいってくれない旦那に対しての うらみつらみばっかり 書いてある。
毎日毎日先生に「退院は?」と 聞いていた。
しつこいぐらい 聞いていた。(できるわけないのに)

本はくまなく読みつぶした。
1冊の本を 大事に大事に 2日以上かけて読んだ。

きょうで何週何日。
朝のやじうまワイドの曲が聞こえると
「ああ、やっと昨日が終わった」って思ってた。
世間は夏を過ぎ 秋を過ぎていた。
結婚したのは夏なのに 2週間しか住んでいない家。
マタニティも買ってなかった。
10歩でいいから歩きたかった。
電話を掛けたかった。
好きなときにお水を飲みたかった。
水道を見てみたかった。
看護師さん以外の人を見たかった。
とにかく ベッドから 堂々と起きてみたかった。
病院の廊下を 見てみたかった。
このとき携帯やネットがあったら どんなによかったか・・・。

二人部屋の個室で 私は ベッドから起き上がれず 5ヶ月をすごしたのだ。

先生からは39週になるまでは退院できないって言われてた。
もしこれ以上下がったら救急車で大学病院だよって いつも言われてた。
棚の上にある雑誌をとっただけで先生に怒られたこともある。
ほんとに、自分では何もできなかった。

逆子でもあるけど体操が出来ないから できるだけあっちを向いていなさい
って言われて そうしてた。
ただでさえ起きられない上 向こうしか向けないなんて
背中が痛いなんてもんじゃなかった
床ずれができるんじゃないかと思った。
1日1日が本当に長かった。
毎日毎日泣いていた。
赤ちゃんを産むという喜びよりも
早く起きたいというほうが大きかった。
赤ちゃんを無事 おおきく産むことがそんなに大事なのと思ったりもした。

苦しかった。


だけど タムは帝王切開で元気に生まれてきた。。。。。
居心地の悪い子宮だったろうに 長い間ひっしにしがみついててくれた。
今こうして どこにも障害がなく 元気で生まれてきてくれたのは
自分の努力があったからだと やっぱり思っている。
頭がおかしくなりながらも 5ヶ月間耐え抜いたからだと 思う。

そして ある助産師に 言われた言葉。
「お母さんが そう思ってると 赤ちゃんは お母さんのために 自分でへその緒をまいて いなくなって(死んで)くれるんだってって 聞いたことがあるよ。だから そんなこと 思ったらだめ」
赤ちゃんって なんてけなげなんだ。 
この言葉は 私は ずっと 忘れない。

ほんとうなら生まれていなかったと思う。
タムがいなかったら 結婚もしていなかったと思う。
流産していたら別れていたかもしれない。
そんなうすい絆しかない私たち夫婦だった。


だけど タムは私たちを幸運に導いてくれたのだ。
こうして8歳の誕生日を(二人きりだったけど)迎えることができてほんとに嬉しい。

別居したこともある夫婦だったけど タムのおかげで今はこうして仲良くやっている。
ありがとう。



タムの誕生日にはほんとうにいろいろと考えた。

今度妊娠したら早めに子宮を縛る手術をしないといけないと8年前言われたが
子宮をしばっても私の場合入院しないとだめかもとも言われてる。
(子宮頚管無力症・・・
どうしてこう婦人科系の病気ばかり持っているのか・・・)

一人産んではいるけど 私は陣痛も経験していない、
マタニティ服も着たことがない、
妊婦姿で歩いたことがない。

いいなぁぁ~~~。


タムの育児がある程度落ち着き 家族の希望もあって二人目をと思っているけれど なかなかうまくいかず 憧ればかり募っている・・・・。

だけど 今度はきっと赤ちゃんをおなかの中で大事に育てると思うよ。
また長い入院になっても きっと私も頑張れる。
入院する病院は遠いけど タムもきっと頑張ってくれる。

どうか 今年こそは赤ちゃんがやってきますように。
そして 私の妊娠を願ってくれる友達にも幸せを、
そして 妊娠を願う人すべてが赤ちゃんを抱ける世の中になりますように・・・
(助成など)



平成18年12月15日 追記
タムは バレー部に入り 私も応援に行くようになった。(まだ出ないんだけど)
タムのクラスのお母さんたちと ママさんバレーチームを 発足させ 楽しんでいる。
家でも ふざけすぎたり 笑いすぎたりして 怒られることが多いタムだけど この子がいなかったら 私は バレーの応援に行ったり ママさんバレーを組んだり タムの行動に怒ったり笑ったり クリスマスプレゼントを買いにといざらすに行ったり サーカスに行ったり 「おかあさんといっしょ」を見たり 保育園や学校のママ友達とも仲良くなったり 不妊治療で いろんなことを考えたりすることも そして ここでこうやって いろいろな方々と友達になって 支えあって いくことも なかったと 思う。

タムがいるからこそ こうやって いろんなつながりが できた。

私が妊娠したとき 旦那は20歳。私も 看護学校を卒業したての25歳だった。
旦那は 私とは遊びだったので 「おろせ」どころか 「別れるつもりだったから おろせ」と 言われた。
だけど 気の弱い旦那は自分の親にも言えず 私の親にも言えず ずるずると 結婚してしまうはめになって・・・私が妊娠中 旦那へのうらみつらみを日記に書いたのは 「妊娠させといて 何も(退屈しのぎの本を買ったり)してくれなくて ふざけんな!退院したら 絶対 復讐してやる」と そういったことばっかり。行きがかり上毎日は来てくれたものの 本を買ってきてと頼んでも 「本屋に女子高生がいたから買えなかった」とか アイスが食べたいと言っても 「えー。昨日のうちに言ってよ」と たったエレベーターで 4つ下ることすら してくれず ほんとに 私たちは 望まれた結婚でもなかったし 旦那にとっては 望まない赤ちゃんだったのだ。

だけど 旦那も29歳になり 思ったよりは 育児もしてくれるし タムのことを 大事にしてくれる。
不妊治療だって 家事だって協力的だし ゴルフで金がかかる以外は 浮気や借金 酒などのトラブルもなく 「当たり」の男だったかなと 思う。

こんな可愛い おもしろい子になるなんて・・・ あの時 おろさないでよかったと 心底思う。おろそうとは わたし全然思ってなかったけど 愛されてない自分ながら ゴリ押しして 結婚してて ほんとによかったと 思う。こんな かわいい子を この世に生まれさせないように 押し問答があったなんて 考えただけでもぞっとする。

3年生になり タムが たまに聞くようになった。
「お父さんとお母さんは なんで結婚したの?」

そのときわたしはいつもこう答えている。
「お父さんが “結婚してくれ結婚してくれ”って 言ったからだよ」。
慌てて旦那が否定する。
「ちがうよ。お母さんが 言ったんだよ」

どこにでもある 幸せな風景。
それをタムは 笑って 見ている。
過去なんて 思うように変えられるものかもしれないね。


・・・終わり・・・






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最終更新日  2006.12.15 09:13:55
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