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☆タムちゃんキョンちゃんの青い空☆

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2009.10.05
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もう、4か月も前のことになるんですねー、アイキョンが帰ってきたの。

久しぶりにまた楽天に帰ってきたので、いい機会なので、アイキョンが帰ってきたときのことを  少しだけ。


6月10日に、「もうすぐ退院です」の日記を打ち終えた後、電話が鳴りました。

市立病院からでした。

心臓が止まるかと思いました。


担当の先生が

「脳の検査結果を上の先生に見せたら とくに異常がなかったので、退院許可が出ました。」とおっしゃいました。

「いつ、退院されますか?」と言われたので、今日!なんて言っていいかなー、先生が「今日ですか???それはちょっと・・・」って言わないかなーって思いながらも 母強し。

キョンのためなら恥もかきましょう。


「き、、今日でもいいですか?」


「あ、大丈夫ですよ^^」


主治医の中澤先生はほんとにとってもいい先生。

やさしいし、とっても腰が低くて、すごくいい先生。

今日も、そんな大それたことを、やさしく返事してくださいました。


自宅から病院までは早くて1時間半掛かるのに、

2時間後の来院を約束してしまいました。


電話を切った後、うれしくてうれしくて

「イヤッホー!!!!●△□※×☆~!!!ヤッタヤッタヤッター!!!ウホウホウホー
!!!」

って。声にならない叫び声をあげてジャンプジャンプ!!!

早くても今週末ぐらいかと思っていたのに。

ドラえもんのように地に足がついていないような状態で慌てておむつと着替えを用意し(買っといて良かったー!)、

顔をバババって洗って、ちんちくりんな組み合わせの服をがーって着て、学校に電話。

「6-1の○○ですけど、今日妹が、、、、入院していた妹が帰ってくるので、バレーを休んで家に帰ってくるように、伝えていただけませんか!」

タムの喜ぶ顔が目に浮かんだ。

1年半前には、「きょうだいができるんだ」って発表して、みんなからうらやましがられたのに、そのあとすぐ流産しちゃって、、、、

すごく可哀想なことをした。

だから今回の妊娠も、早産も、タムは自分では一切誰にも言わなかった。

言ったら悪いことが起きるって 思っていたんだと思う。

(私も、バレー部のお母さんぐらいにしか言ってなかったもん。)


だけど 今回はもう大丈夫だから!

空ちゃんみたいに、いなくなることはないんだから。

今回はもう大喜びしてもいいよ。



ものすごい大雨の中、

仕事の旦那にもメールした。

一番最初に旦那に抱っこさせたかったけど、ごめんね。

あんたの休みを待っていたらいつになるかわからない。

(1年前に、超忙しい病院へ転職したので、オペとかしょっちゅうあって休みもままならないのだ)

ほんとうにほんとうにびっくりしていた。



とりあえず 姑たちに言ったら天候のことで反対されると思ったんで電話はせず。

実母には電話して、急きょ市立病院まで来てもらった。


病院に着いた。

NICUのチャイムを鳴らして、「退院が決まった○○です」と告げ、窓口から服の入った袋を渡した。

これが、ずっと憧れだったんだ

今まで、何人の幸せそうなママさんをこうやって見つめていたことか。

今それを、私がやっている。

信じられなかった。


中に入り、先生と今後のことで話をし、看護師さんたちや友達になったママさんたちと写真を
撮り、

お礼を言って外に出てきた。

父と母が新生児センターの外で待っていてくれた。

そのままアイキョンだけ連れて3階にあがり、NICU2の看護師さんたちに挨拶。

ここは、出生してから3キロぐらいになるまで、、、

アイキョンみたいな人工呼吸器を使ってる低体重児や、重症の子が入っていた。

だから3ヶ月はここにいたかな。

薄暗い廊下に薄暗い室内。

あちらこちらからモニター音が鳴り響き、2階のNICU1と違って、重々しい雰囲気だったなー。

もう、ここに来ることもないんだな。


なんだか夢みたいで、うれしすぎて涙も出なかった。



2階に降りたら、旦那が駆けつけてきた。

仕事を早帰りさせえてもらえたみたい。

ほんとうにびっくりしていた。

いくらなんでも今日ってことはないだろうと思っていたのだから。

(それに、私、かなりの無鉄砲です大笑い


必要以上にもこもこにくるまれたアイキョンを、雨の中 チャイルドシートに乗せこみ、

旦那、自分の車があるのにチャイルドシートの横に座ってる(笑)。車どうすんですかーみたいな。

父は用事のために自宅へ帰り、母だけがこっちへ来てくれた。

ワイパー全開の大雨の中、パパという強力なSP車を後ろにつけて、アイキョン様ははじめて自宅に帰ってきたのです。。。。


初めての空を、写真に撮りました。

私たちのうれし涙ぐらい 曇っていました。




家に帰ると、意外にもおねえちゃん出てきません。

恥ずかしいのかも。

NICU2は窓越し面会が禁止されていたので お姉ちゃんは 生まれてからも2か月以上姿を見たことがなくて、やっとここ1カ月、ガラス越しに見れたんです。

でもそれも数回。


だから実感がなくて当たり前。

でもがんばったね。私なら見たい見たいって泣いて暴れる、見えない敵に向かって。



お姉ちゃん、やっと外に出てきたのに、緊張してそっと触るだけ。

今からいっぱい抱っこさせてあげるからね。

お姉ちゃんは先生から聞いた後うれしすぎて、走って帰ってきたらしいんだけど、まだいなかったもんだから、先に勉強をしていたみたい。珍しいね大笑い


それを聞いて私もすごくうれしかった。

どうしても、空ちゃん流産の時のタムのショックを思い出してしまって。。。

よかったよかった。

生きて帰ってくれて本当に良かった。



不妊治療歴7年

タイミング2年
人工授精10数回
体外受精4回
稽留流産1回

お金もたくさん使った。

この妊娠では、タムのとき同様、切迫流早産で、竹内レディース、国立病院(緊急入院)、鹿児島大学病院(緊急搬送)、鹿児島市立病院(MFICUに救急搬送)と、4か所も入院をしたあげくの早産児


在胎7カ月、978グラムだったアイキョンは

生後3ヶ月半で3178グラムにまでなって ぶじ私たちの手元に帰ってきました号泣号泣号泣


大学病院に搬送された時はまだ20週で、

「ここで産まれたら赤ちゃんの手当はできない」と言われました。


つまり、助からないから何もしない。


やっと22週になり市立病院に搬送されたときは「ようやく人として認められる週数です」と言われたけど、

子宮口が開いていたので予断を許さない状況でした。

生存率ばかり聞かされていました。


MFICU(母体胎児集中治療室)では24時間管理され 絶対安静ですごくつらく大変だったけど

あの1カ月がなかったらアイキョンはもっと小さかったかもしれない。


2月24日の夜、「メイちゃんの執事」を見た後 うとうとしていたら ぽんっと破水したような感触があって

様子観察だったけど 分娩室に通されて 朝を迎えたころには、羊水検査もできないぐらい少なくなっていて

「出しましょう」と言われました。

お腹はぺっちゃんこになり、どうみても妊婦のおなかじゃない。

「お腹が小さくなっちゃったよー号泣

もうだめだなって思った。怖すぎてもう、どうにでもなれだった。



「ごめんねタム。またしてもお姉ちゃんにしてあげることができないかもしれない」

「赤ちゃんごめんね、もうお外に出てくるから、心の用意しててね」

いろんな思いが頭の中を駆け巡った。


MFの中が騒がしくなり、自分の名前を電話で言う声とか聞こえた。

自分が主役の大舞台だ。

点滴を外したとたん 陣痛がついた。

「ご家族は何時ぐらいに来られますか?」

「今向かってます。あと1時間後ぐらいで行くんですか?」

「いえ、今すぐ手術室に入ります」

旦那も間に合わないまま手術室に入った。


全身麻酔をかける前には涙があふれた。

タム、、、アイキョンごめんね。ママ怖いよ・・・・・・・助けて





生まれてからもほんとうにいろいろとあった。

手術の翌日には、無理言って歩かせてもらった。

お腹の傷は痛かったけど、NICUに面会に行った。

あんな小さいあかちゃんみたことなかったし、倒れるかと思った。

小さすぎて、ありえないぐらい真っ赤で、腕なんか私の小指ぐらいで 猫の子みたいだった。

管ばっかりで、人工呼吸器まで入ってて涙があふれた。

車いすを頼むと看護師さんの手を借りないといけないので、歩いて通った。

病室から20分かかった。

でもアイキョンに会うために。歯を食いしばって。

私が行かないと死ぬかもしれないから。

いや、もしかしたらもう死んでいるかもしれない。

看護師さんが言わないだけ。

死んじゃう死んじゃう。

毎日毎日そう思ってた。

命の保証はしてもらえず、「9割は大丈夫」と言われていたけど、
感染症もあったし、1割にはいるかもしれないもん。


全然前向きになれないぐらい、アイキョンの状態は悪かったのだ。


私が退院してからは、ほぼ毎日市立病院に通った。

片道1時間30分。毎日毎日 搾った母乳を届けた。

人工呼吸器や酸素や栄養チューブが外れるまで、実に3カ月ぐらいかかったけど、はじめて何もないお顔を見たときはうれしかったなー。




こうやってパソコンを打っている横で、アイキョンがすやすや寝ています。

かなわないかもしれないと思っていた幸せ。

いろんなことがあったけど、諦めないでほんとうによかった。

何に関しても誉められるところはない私だけど、このことだけは、ほんとうに諦めないでよかったって、自分で自分をほめてあげたいと思います。


これから先、いろんなことがあると思うけど、命の尊さをいやというほど知ったし、せっかく授かった赤ちゃん、それとお姉ちゃんだから 何があっても大事に育てたいと思います。



追記。

そうそう。
タムお姉ちゃんは帰ってきたその日ですっかり抱っこもうまくなりました。

「お姉ちゃんがねー」って自分のことを呼んでいる姿を見ると、泣けてきます。

タムのために不妊治療頑張ったといっても過言ではないですからね。



長々と 読んでくださって ありがとうございました。

それと、みなさま、不妊治療中、妊娠中から応援、ありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします。





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最終更新日  2009.10.05 21:51:58
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