テーマ:★シュタイナー教育(259)
カテゴリ:シュタイナーに学ぶ★
「大人の権威(魅力)」「生きる姿勢」に関しての続編です。ひっぱり過ぎか? 大人の生きる姿勢を子どもが魅力的と感じ、その権威に沿って生きることが一時期までの子どもの成長にかかせない要素であることを、シュタイナー思想から感じた訳ですが、さて、子どもが魅力的と感じる大人の生きる姿勢とはいかなるものかを考えたときに、以前読んだ笹田信五さんの自分発見の処方箋を思い出しました。 笹田さんは医学博士で、兵庫県五色県民健康道場で道場長をなさっている方です。この健康道場ではストレスによって引き起こされた体の不調を改善に導くための手ほどきをうけることができます。その解決法として提唱されているのが「本当の自分をいきる、自分の山を登る」生き方をすること。 「自分の山」というのは「自分の人生」に置き換えることができます。誰もが自分の人生を歩んでいるつもりですが、無意識または意識的に「他人の人生」と比較しながら歩んでいる部分ってあると思うのです。 「他人と比較しながら」歩んでいる部分というのは、概念として「一般論」とか「共通理解」または個々人の「価値観」という言葉が当てはまるように思います。他人と協調しあいながら生きていくことは一人では生きていけない人間の大切な要素ですので、「他人の人生」「価値観」「一般論」と比較することを一概に悪いとばかりは言えません。特に中、高校生や若い人たちが流行に敏感になるのも、ひとつは自分の人生を歩みだす前に、それらと比較して、共通部を見つけ、安心感を得たい、沿いたいという意味合いもあるのではないでしょうか?しかしながら、「他人と比較しながら」歩んでいる部分が、自分の人生の大半をしめていたらどうでしょうか? 例えば「おしゃれをすること」について、こんなことを考えます。「記録より記憶に残りたい」という新庄剛選手。彼の場合は自分の山を登る延長線上に自分への美意識があるのを感じがして、そのファッションが私の好みとか好みじゃないとかにかかわらず(笑)、いいな~と思わせるところがあります。また、私が最近の美容師さんをおしゃれだなと感じる感覚もこれと同じです。だから周りには魅力的に写るし、そこに沿いたくなる気持ちにさせるのではないかと思います。でも、「あの人より少しでも若く見せたい」「みんなから羨ましがられるような生活を送っていると思われたい」ということが大半の理由となっておしゃれをしているとしたらどうでしょう。そこには少なくとも「自由」とは言えない事態が想像できます。そして、思っているほど、他の人には自分が魅力的には写らない気がします。 現代メディアが発達したおかげで、昔なら知りえない情報や、みんなの暮らしぶりを窺い知れるようになり、他人の山を見る機会も増えました。それと同時に、それらの山々と比較して歩んでいる部分も大きくなっていることを感じます。「勝ち組み、負け組み」という言葉はその代表のようなものだと思います。子どもが大人に魅力を感じる生きる姿勢が「自分の山を登っている」姿だとすれば、昔と比べると「自分の山を登りにくい」世の中になっているのかもしれません。 そんなわけで、最近は「自分の山を登る」ことと「他人の山と比較しながら登る」ことの絶妙なバランスがとれている状態が、魅力ある生き方ではないかという気がしています。とかく「自分の山」を見失いがちですが、ブログに書いたり、みなさんの生き方や考え方に触れる機会が多くなり、日々刺激を受けることが「自分の山」を登るための大切なプロセスになっているのを感じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月14日 06時29分15秒
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