カテゴリ:シュタイナーに学ぶ★
「スピリチュアル」 意味は「精神の 霊的な」とされますが、ひところよりはこのいわゆる「霊的な世界観」は市民権を得たようにも感じます。この「スピリチュアルな世界」って存在すると思いますか?ちなみに私は霊などが見えたり、特定の新興宗教があるわけではありませんが、シュタイナー思想を中心に、その他スピリチュアル的な本を読んで得た知識を織り交ぜながら、私なりに「スピリチュアルな世界」について考えてみたいと思います。
いきなりですが、そもそも私たちが「物質」といっているものはどのように定義されるのでしょうか?アインシュタインが提唱した相対性理論では、物質とは元素がエネルギーによって集中し、質量と体積をもって形作られたものということになります。私たちの肉体も、土や空気や他の動物、植物とおなじく元素からできています。エネルギーは速度と振動数によって定義され、そのパターンによって30種類くらいしかない元素が無限大にさまざまな物質を形づくっていると思われます。 さらに私たちの肉体を腎臓、肝臓、骨、などパーツごとに見ていくと、エネルギーのパターンによって様々に形を変えて物質として存在しているのがわかります。しかし、それぞれがお互いに働きを補い合いながら人間を「生命」として形作っているということは、そこにも一つのエネルギーのパターンが存在することになるのではないでしょうか?シュタイナーは、 エネルギーが作用し、臓器として形づくっている状態を「物質体」、さらに 臓器としての物質体を体全体の「生命」として形作っている状態を「エーテル体」 と表現しています。この状態までは、植物、動物に共通しています。しかし、動物と植物の決定的な違いとして「意識」があるかないかということがありますね。動物には「生命」を意識としてつなぐエネルギーが存在していると考えられ、これを私たちは「心」だとか「精神」だとか「自我」だとか表現しているのではないかと考えます。ただし、動物に「感情」はあると思うのですが、「精神」とか「自我」があるのかどうかがはっきりしません。シュタイナーはそこを分けて考えているようで、 「感情」の部分を「アストラル体」と表現し、さらにそれを統括しているのを「自我」という形で表現して、「自我」とは人間特有のものだと言っています。 さらにシュタイナーは人間「生きている」状態を「物質体+エーテル体+アストラル体+自我」と表現し(正確には成長過程で4つのバランスが変わるみたいですけど)物質を生命としてつなぎとめているエーテル体、アストラル体、自我が離れることを「死」とみなし、さらにしばらくは「エーテル体+アストラル体+自我」の状態で存在するけれども(おそらくここら辺が霊といわれている部分か?)次第にこれらをつなぐエネルギーも離れて「自我」だけになり、しばらくして新しいエーテル体とアストラル体が結合して新たな「人間」としてこの世に生を受けるという考え方(輪廻転生)を説いています。 おそらくこのエネルギーのパターンというのが波動というもので、波動は物質を現象化させるだけではなく、出来事や症状なんかも現象化する力をもっているのではないかと考えます。それを応用したのが「ホメオパシー」であり、私たちがよくいう「ご縁がある」という現象ではないでしょうかね。 何度もいいますが、私が残念ながら(?)霊を見る能力はありませんけど、このようなことを考えながら行動し、生活するようになって、前にはたぶんなかったと思うくらいぎょっとするほど「縁」が重なっておこる現象はあるように感じています。 みなさんのご意見をお待ちしています! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年10月22日 07時31分02秒
[シュタイナーに学ぶ★] カテゴリの最新記事
|
|