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大きな地震が東日本を襲ってからもうすぐ2カ月が経とうとしています。
もうそんなに日が経ったのか・・・と思うほど、まだ先日のことのような気がしてなりません。 でも、やっとこさ、あの日のことを振り返ることができるようになりました。 地震が発生した日は私は体調不良で会社をお休みしておりました。 ずっと体調が思わしくなくて、洗濯モノがたまっており、 ちょうど洗濯を開始しようとしておりました。 グラグラ揺れても、「あ~、まためまいがしてきた・・・。やっぱ体調悪いな~」 ってなカンジで、地震だと気づくまで少し時間がありました・・・。 モノがありすぎて煩雑な我が家ですが、奇跡的に落下物などは何ひとつなく(ちょーフシギ) ただ心臓バクバク状態ですぐにテレビをつけた。 この巨大地震の前日だか前々日にも東北地方に大きな地震があったので、 もしかしてまた・・・という不安があったのですが、まさに不安的中。 すぐに宮城の実家に電話するも、当然のことながらつながらない。 そして大きな津波・・・。 その日の夜になんとか母と妹と連絡が取れたんだけど、一度連絡とれただけで それから数日は連絡が取れませんでした。 携帯の電池がなくなったからだろう・・・何しろ停電だし・・・と思うものの やっぱり連絡が取れないのはすごく不安で、 そんな日が数日続いた。 だんだん自律神経系がおかしくなり、体温調節ができなくなったりしてきた矢先 やっとこさ母から電話。 車から携帯の充電できることを知って充電したとのこと。 内陸地方にある実家は津波の被害こそなかったけど、それでも震度6強だか7だし、 倒壊した家があちこちにあるらしく、母は「日本は沈没するんじゃないか」と 本気で心配していた。 おまけに4月になってからまた震度6強の地震・・・。 3月の地震よりも揺れが大きかったとは母の弁。 この4月の地震で仙台に住んでいる妹は負傷し、実家も再び被害をこうむることに。 ・・・・・ それでも少しずつではありますが、普段の生活を取り戻しつつあります。 先日帰省したときには、想像以上の被害の大きさに涙が出てしまいましたが とりあえず、物資は十分にあり、不自由している様子はなかった。 あくまで実家近辺の状況ですが。 去年、オットと私と両親の4人で何度か気仙沼、女川、南三陸、そして石巻に遊びに行ってました。 なんでだかわかんないけど、何故か去年は県内の海沿い地域へ何度も出かけておりました。 おいしい海産物を買ったお店や、ふかひれラーメンを食べたお店、活気あふれる楽しげな市場など すべてがなくなっていました。 南三陸で知り合った、とある食堂の気のいいご主人のお店も跡形もなくなっていた。 彼は無事だったのだろうか。知るすべもありません。 そしてたくさんの学生時代の友人たち。 彼らはみんな無事なんだろうか。 まだまだ心配はつきません。 また今月も宮城に行ってきます。。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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