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カテゴリ:夏休みの旅行
バングラデシュのナショナルミュージアム(国立博物館)へ行きました。ここも撮影禁止でカメラは受付に預けさせられます。 たくさんのテーマ別に展示されていて順番に見てゆきました。最初の方はバングラの植物や動物の押し花や剥製の展示で、簡単に系統図などもはってありました。まあ、小中学校の自由研究のようなものです。 それから農具とか武器とか、偉人の肖像画100人以上飾ってあったかな。ピカソとかアインシュタインとか世界的に有名な人たち。 残念な事に日本人は居ませんでした。 それから名画のコピーや贋作が延々と。モナリザとか印象派の絵とかピカソとか。 国立博物館にまで来て偽物を見たいとは思いませんでした。 それからパキスタンからの独立戦争の時の虐殺など残酷な白黒写真。 なぜか1971年没の人たちの写真と経歴。(ベンガル語で読めない) なぜ皆1971年に亡くなっているのだろう? 何があったのだろう? と不思議に思ったら、この独立戦争の年でした。 パキスタンはインドとともにイギリスの支配下から独立しましたが、さらにヒンズー教のインドからイスラム教のパキスタンは二つに分かれていますが独立しました。 しかし、西パキスタンはウルドゥー語、この東パキスタンはベンガル語であり、西パキスタンの方からウルドゥー語を強制する動きがあったのかもしれない。 このベンガル語を守るために、東パキスタンは西パキスタンに対して独立を求めて戦ったのです。 そして数多くの犠牲を払いましたが、1971年にバングラデシュとして独立しました。 今のパキスタンとバングラデシュはともにイスラム教ですが、だいぶ宗教に対する厳しさに差があります。 バングラの方がかなりゆるいです。1日に5回まじめにお祈りをしている人は少ないようです。 そんな面でも気楽でよい国です。 公にはイスラム教の人はお酒は飲めないし、遊ぶ場所もありませんが。 このベンガル語とイスラム教がバングラデシュ人の共通な民族意識となっているようです。それも1971年に硬い結束で始まっています。 日本人にはない自分達で勝ち取った共通の国家としての意識がすばらしいと思います。
町を車で走っていて、歩道に多くの人の列が出来ていました。ドライバーになぜ並んでいるかと聞いたら、これは航空会社の窓口までつながっていて、サウジへ行くチケットを求める人の列だと説明してくれました。 バングラの人は海外のあちらこちらに出稼ぎに出かけていて、外貨を稼ぎそのおかげで今では国際収支はプラスだそうです。 観光客の私にとっては、何が出来るかというと やっぱり外食したり、お土産を買ったり、お金をこの国に落として行く事でしょう。
その時代の強い国の言葉が世界を支配していく、と考えると今は英語だし。 日本が支配していたら 世界は日本語になったはず。 でも、バングラの人たちは多くの血を流して、自分達のベンガル語を守ったのです。感動しました。
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