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あけましておめでとうございます
今年も毒吐き&下品でも構わないとおっしゃる方は、どうぞ当ブログへお越しください お正月と言えばお年玉だ。 以前のブログにも書いたんだが・・・うちの子供達に夫の親からお年玉を貰った事がない。 義母は、離婚した娘(夫の姉)とその子供(高3男子)と3人で住んでいる。 毎年、私達は正月に実家へ顔を出し、高3男子の甥っ子にお年玉をあげている。 もちろん、義母にも2万円あげている。 花梨が産まれてからも変わらず行っているが、お年玉を義母からも義姉からも貰えない。 最初は 「花梨はまだ赤ちゃんだからかな」と思っていた。 でも、来る年来る年 いつもくれない。 不思議な事に、義母は高3男子にはお年玉をあげている。 うちの子も同じ孫なのに、どうして娘側の子供にはあげて、 うちにはくれないんだろう?と考えてしまう。 絶対 くれなきゃいけないもんでもないんだけどさ あっちにあげるなら、こっちにもちょうだいよ。 別に万券をくれと言ってるんじゃないよ、まだ小さいから500円でも1000円でもいいんだよ。 そう・・・・「気持ちが欲しい」のよ。 そんな話を、私の実家や友達にしたところ 「じゃぁ、りりちゃん側からあげなきゃいいじゃん」と言われた。 うん。そういう手もあるね。 でも流石に義母は、他にも世話になる事もあるし義母だけには渡して、 高3男子はどっちでもいい!と思うようになった。 2年前の正月に顔を出すと、高3男子は遊びに行っていなかったので、あげなかった。 去年は、年末に義母にだけお年玉を渡して、正月はシカトした(行かなかった) その時、義母は 「あら?私の方は何も準備してなかったわ、ごめんなさい」 と言っていたので、今度の年はくれるのかな?と思っていた。 で。 2年間、高3男子にはお年玉を無視したが、今年は久しぶりに正月に実家へ顔を出した。 去年の秋、私の学校と夫の学校が日曜日にぶつかる事が多々あり、 花梨と厳吉を実家で世話になる事も多かった。 なので、正月ぐらいは顔を出してお年玉をあげて ゴマでもすっておこう!と思って行った。 まぁ、いつものように向こうからはお年玉は貰えないだろうけど、 それはそれで仕方が無いと諦めている。 ただ、心の奥底では、子供達は段々「お金」と言うのが理解できるようになってきたし、 もしかしたらくれるかもしれないという期待もあった。 夕食時の乾杯の時に、夫からお年玉を渡した。 「ありがとう」と言ってくれて、めいめいがゴソゴソとタンスにしまっていた。 その時に、向こうからお年玉が出るかな?と期待したけど、やはり出なかった。 宴も30分が経過した頃、義母が 「あっ!!そうそう!! メタ男!! これこれ!」と言って、 食事を中断し、タンスの大事な箇所を開けて、何かを探していた。 わっ!!!とうとう 来た来た!!! 子供へのお年玉だ!! と私は胸が躍った。 花梨が産まれて5年間、この日を待ちわびていた(大げさ?) 封筒が出てきたと思ったら 「これ! 団地の保証人として名前を書いてくれないかな?」と言う。 私は、ガクッとなり ドリフで言うと天井からタライが落ちてきた。 なんじゃい、保証人かよっ!! 義母達は団地に住んでおり、更新の際には保証人の署名捺印が必要だ。 「前はおじさんに書いてもらったんだけど、死んじゃったからね。死んだ人はもう無理だからメタ男、書いてよ」と言う。 (はいはい、わかりましたよ。何でも書きますよ)と思いながら 心はズッコケていた 今まで5年間ずっと 「何で?どうして?」 「どうして うちだけにはしてくれないの?」と言う気持ちがあったが、 今年の正月で全てが吹っ切れた。 吹っ切った。 「こっちはしてあげているのに、相手からは何もない」と思っていた、 私の心が邪道だった事に気が付いた。 収入はうちも下がったが、まだ実家よりかは多い。 してあげられる方がしてあげて、一方通行でもいいじゃんか!と思った。 それが「愛情」だよね。 してあげられるまでしてあげようと決めた。 寄付ってあるよね? あれは「余ったお金を寄付するんじゃなくて、例えば1日1000円で生活していたら、 900円に落として100円寄付してあげる」のが、寄付なんだってさ。 ↑父から聞いた話です。 数年前は、うちの収入に余裕があり、はっきり言って 余ったお金をお年玉にしたり、 ご馳走したりしていた。 でも、去年からドンドン収入が下がり、今度は余ったお金ではなくて、 生活の何かを切り詰めて実家へのお年玉を捻出する事になった。 そうなってから気が付いたんだよね。 相手から求めるのは、もうやめよう・・・・って。 うちが出来るところまでしてあげようじゃないかって・・・・。 見返りは期待しない。 本当の家族や親友からは、見返りなんて求めてないよね。 それと同じだよ。 結婚して10年、私は義母を「家族」だと改めて認識したのかもしれない。 それに、お金ではなく 本当にうちが困った時。 私が高熱を出して子供の世話が出来ない時は、義母は電車に乗って飛んで来てくれる。 さっきも書いたが、日曜日 夫婦で学校に行きたい時、母は文句も言わず子供の面倒みてくれる。 母が看ると言うことは、その分 義姉にもしわ寄せがきているので、2人で世話をしてくれている。 相手から充分 いろいろ助けてもらっている。 「 気持ち 」はいっぱい貰っている事に気が付いた。 うちがしてあげられるまで、してあげよう。 そう誓った年明けでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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