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カテゴリ:友達
(ちょっと長い話です。お時間のある時にどうぞ)
この1月2日に。 男友達2人と女友達2人(私を含め)の4人で久しぶりに集まった。 5年ぶりの再会だ。 この4人は中学3年生の頃から仲良くしている。 中学3年生の春に、私が四国から埼玉に引っ越して来て以来 ずっと付き合っている。 あれから25年の歳月が流れた。 四半世紀だ。 まず、親友のチリちゃん。 誠也君。 大輔君。 中学3年生の1年間だけ4人は同じクラスで、高校はそれぞれ別々の所に行った。 高校に入ってからも近所なので仲良く4人で遊んでいた。 高校生になると、誰が誰をすきだとか なんじゃかんじゃ恋愛感情がわいて来た だけど、誰も4人の中で「特別に男女の付き合い」はしなかった。 お互い気持ちがわかっていてもしなかった。 その年代だと、 そのまま結婚する確率は極めて少なく、 別れが来るとなると「4人の友達関係」はそこで消滅する。 だから、男女の関係は避け4人の友達関係を選んだ。 高校を卒業し、私と誠也君は働き出した。 チリちゃんは短大へ、大輔君は大学へ進学した。 会う回数は減ってきたが、4人でたまに遊んでいた。 最初の悲しみは、チリちゃんが19歳の時にきた。 チリちゃんのお父さんがガンで亡くなった。 チリちゃんは、2歳下の弟の大学費用のため、短大を中退し働きだした 働き出しても、時間を見つけ4人でたまに遊んでいた。 数年経過し、 まず、1番乗りで26歳で誠也君が結婚して、マンションを買った。 もちろん結婚式にも友達として出席した。 4人が全員お互いの結婚式に出ている。 その頃、何も考えてなかった私は「誠也君は大人だなぁ」と思った。 次に大輔君が結婚した。 大輔君を好きで好きでしょうがないと言う 「大輔君以外には考えられない」と言う女性から、猛烈な求婚を受け結婚した。 男にもてるようなタイプの彼女ではなかったし、大輔君も最初は彼女の事は好きではなかった。 猛烈なアタックを受けると、やはり情が湧いてくるのか 「あの女で立つ男は、この世で俺しかいない」と言い切り 結婚した。 男らはすぐに子供が出来た。 やはり結婚したり、子供が出来ると会う回数が減ってきた。 本当に友達なんだけど、男と女になると「奥さん」に悪い気がして会えなくなった。 チリちゃんと私は 「やっぱり、こうやって大人になって結婚しちゃうと、 男と女の友達関係を継続していくのって無理なのかな?」とぼやいていた。 29歳で畳み込むようにチリちゃんと私が結婚した。 もう、結婚式ぐらいにしか顔を会わす機会がなくなった。 私は結婚後すぐに家を買った。 チリちゃんはアメリカ人と結婚した。 アメリカ人の旦那さんは、大学院を出て、日本で大学の講師をしている。 将来は、アメリカへ帰りたいらしく、旦那さんはチリちゃんに 「アメリカで高卒では、何かと就業の範囲が狭くなるので 出来れば今からでも大学を出て欲しい」とお願いしてきた。 チリちゃんは、一念発起して30歳から大学生となった。 きっちり4年間で卒業した。 そして、チリちゃんもマンションを購入し、子供にも恵まれた。 誠也君は第二子が生まれた。 その子は重い障害を持って生まれ、8歳になる今でも、歩けないし、1人でご飯は食べられない。 唯一、座れるだけだ。 誠也君はますます自分の時間が取れなくなり、4人は全然会えなくなった。 またさらに数年経過し、私が花梨を生むと お祝いでうちに遊びに来てくれた。 久しぶりに会った。 久しぶりに会えたのに、嬉しいはずなのに、私は生後2ヶ月の花梨を抱え、 毎日泣いてばかりで、産後うつ状態だったのか?余り楽しくなかった。 自分以外の3人が幸せそうでキラキラして見えた。 なんだか、とっても疲れた 1年が経過し、私も落ち着きそろそろ会いたいねと持ち上がったが、 今度は大輔君が離婚した なんと 離婚の原因は「妻の浮気」だった。 「あの女で立つのは俺しかいない」と豪語していた大輔君なのに・・・・。 他にも立つ男がいたじゃないか・・・・・。 しかも、その妻は、離婚成立時に既に「妊娠5ケ月」だった(もちろん浮気相手の子) 大輔君側から、何かしらの訴えを起こす事は出来たんだが、大輔君にはその気力もなく、 我が子にもう会えないという悲しい事実が受け入れなれなくて、相当落ち込んだ。 大輔君の落ち込みは激しく、私達4人はまた会うキッカケを失った。 最後に会ってから5年の月日が流れ・・・。 そして、やっと この1月2日に4人で再会した。 大輔君は、離婚の悲しみから晴れて元気になっていた。 大輔君もつい先日、マンションを購入したばかりだ。 これで、全員が家を買い、全員が結婚し(1人失敗したけどね)、 全員が子宝に恵まれ、色々あったけど、25年も時が流れたんだなぁ~としみじみ思った。 誠也君は、障害のある子供の事を何でも隠さず話してくれる。 すごく苦労したのか・・・・頭はすっかり禿げあがり、顔も皺が増えていた。 とても39歳には見えなくなってしまった。 今は教習所の教官をしている。 世の中は車離れが起こり、若者も車を購入しなくなったので、 少子化の上に免許を取る人が少なくなってきたそうだ。 給料は段々と下がり、「自分のお小遣いは要らないから子供と生活費で使ってくれ」と 妻へ言い、自分の小遣いはバイトで稼ぐようになった。 仕事もし、バイトもし・・・障害児の世話もあり・・・誠也君は頑張っている。 浮気もした事がないそうだ(笑) 「いいお父さんだなぁ~苦労してるんだなぁ~」と思った。 誠也君は 「俺は、なつき(障害児)より、先に死ねない。 あの子が、最低でも自分の身の回りの事は自分で出来る様になるまで死ねない。 この先 出来るようになるのかもわからない。 あの状態だから、俺より先に逝くかもしれない・・・・ それも見届けたくないけど・・・・ 何も出来ない我が子を置いて死ねないんだ」と笑いながら言う。 もうね、涙が出そうだったけど、出すのも申し訳ないのかと思って、グッと我慢した。 障害児を持つ親は、みんなそう言うね。 「先に死ねない」って。 健常者の親は、先に死ぬ気 満々だけど。 そんなこんなで・・・・5年ぶりに再会した4人は、7時間びっちり喋り、 今までの人生を語ったり、時には中学生の頃に戻ったり 本当に楽しい時間を過ごした。 この時思った。 男と女の間に友情関係は成り立つ!と確信した。 このお話・・・また後日 続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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