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2011.03.13
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カテゴリ:世の中
3/11金曜日。午後2時46分。


私は新宿のど真ん中にいた。



新宿高島屋から出てきて、電車に乗ろうと、急ぎ足で歩いていた。



110311_1145~01.jpg

たまたま地震の前に携帯電話で撮影していた。

私は黒い矢印の部分の下にいた。





高島屋とJR東日本本社ビルの間には、JRの線路が通っており、その近辺は現在工事中で、

線路の上を高架(橋?)が通っていて、そこを歩いて駅へ行ける。



工事中の簡易的な鉄の橋の上を歩いている最中だった。



揺れるとか そういう問題じゃなくて、鉄の屋根が





ガチャンガチャンガチャン







と凄い音を立て始めた。


余りにも大きな音だったので、私は工事中の音なのか?下に電車が通ったのか?と思っていた。



他の人も普通の顔をして歩いていた。




ガシャガシャと凄い音を立てながら、私は体がフラフラと振られ始め、やっと地震に気がついた。




その時の感想は



なに?この大きな音は?
びっくり


という感じだった。




新宿の街中が、地震の揺れで凄い音をたてていて、鉄が当たりあう音とでもいうのだろうか?

ゴーーーーーーー


という、下から何かが押し寄せてくるような音だった。

上からも何かが落ちてきそうな音だった。





改札の前のコンビニの男性店員が数人出てきて、扉やドアを閉めた。

女性達は、発狂し泣きだした。



みんな、その場を動かずしゃがみこむような姿勢を取った。




私はコンビニ男性店員の腕を思わずつかみ

「これ?地震ですか?」と聞いた。




後から思えば馬鹿な質問だけど、余りにも凄くて 地震なのか?、空襲警報?なのか

工事現場の爆発なのか?

理解するのに時間がかかった。




男性店員は「地震です。掴まってください」と言われ、

私はとっさに知らない男性の腕を掴み離さなかった。



1人では立てない状態なのと、余りの恐怖で、この際 誰でもいいからすがりたい気持ちでいっぱいだった。



男性は「掴まってください」と力強く言ってくれたが、小刻みにずっと震えていた。




天井には、工事中の鉄の枠がたくさんかかっていて


「これが落ちてきたら死にます。こっちにずれてください」と言われ、ずれたが・・・・

鉄の枠が無い部分が、わずかしかなくて、

いやいや、落ちてきたらどっちみち即死だよ・・・・と思った。




30代後半のママが、1歳くらいの子供をおんぶして、2歳くらいの子供を抱っこしたまま、

しゃがみこんで発狂して泣きじゃくっていた。



泣きながらどこかへ電話しているけど、焦って焦って、電話のボタンを押せない様子だ。




私は

「あ雫・・・・うちの子供・・・・きっと保育園だから大丈夫だろう。逆にここに一緒にいたら守ってやれない」と思った。



こんなに小さい子供を抱えてたら、恐怖は人一倍だろうな・・・・と思い、


男性店員と腕は握ったまま、その子供達に少しでも被害が軽くなるように、簡単に多い被さった。



ママはずっと泣きじゃくって半狂乱だったが、なぜか 私は冷静だった。




地震がひと段落したら、JRの駅員が出てきて、


「ここは工事中で一番揺れるから、他へ移動してください」と言われ

移動したら、また揺れ始めた。




移動したってね号泣・・・・新宿は高層ビルばかりで

ビルを見たらぐわんぐわん揺れてるし、このガラスが降って来たら死ぬよ。





大都心では「逃げ場なんて皆無」と改めて思った。




あっという間に新宿駅周辺には人の山となり、

電車は全線不通で、みんなこの先、どうすればいいのか立ち尽くすばかりだった。




地震直後の新宿駅


110311_1519~02.jpg


110311_1519~01.jpg




駅の改札についているテレビをみんな眺めていたが、


私はとっさに

「あ!埼玉まで帰れなくなる、意地でも帰りたい。子供に会いたい」と思った。



(なぜか旦那は出て来ない)




子供に会いたいと思ったら、何だか急に寂しくなって涙があふれてきた。




JR駅員に「バス乗り場は?」と聞くと

「西口から出てますが。道路も全て通行止めでバスは発車しませんよ」と言われた。




発車しなくとも、発車した時には一番に乗りたいんだよぐー





私は急いで新宿駅西口へ移動した。




バス乗り場は何十番線もあり、行き先がわかりにくい。




バス乗り場の行き先を全部歩いて確認して、

その中で埼玉に一番近い「王子駅行き」の乗り場で待つ事にした。




待つと言ってもね雫

乗り場も人間でごった返していて、この人間がどこの番線に並んでいるのか、

何しにそこにいるのかもわからない状態だった。




私は「王子駅行きに並びたいんです。並んでいる方はどなたですか?最高尾はどこですか?」

と尋ねると、おばちゃんに「ここよ、ここ」と言われおばちゃんの後ろに並んだ。




並んでいると、30分ぐらいでバスは入ってくるんだけど、どこ行きのバスも発車させない。


道路が通行止めだからだ。


通行止めだし、今まで走っていた車が停まっていて大渋滞だ。





更に30分が経過し、バスが



「このバスはいつ到着するかわかりませんよ。次のバスもいつ来るかわかりません。

でもバスを発車させます。それで良ければ順番に乗ってください」と言った。



列を見ると、私はこのバスに乗れるか乗れないかの後ろの方で、

この便に乗れないかもしれない・・・・でも意地でも乗りたいと思った。





順番に乗り込んでいたら、数十人横から押し寄せてきて、並んでいない人が横から入りだしたムカッ




あ・・・・こいつらが入ったら、私は絶対に乗れない怒ってる






私の前に並んでいたオジサンが


「みんなこのバスを並んでたんだよ。乗りたくて待っていたんだよ。

横から入るんんじゃねーよムカッ」と凄い剣幕で怒ってくれた。


私も「そうですよ、卑怯ですよ。後ろに行ってください」と言ったら、数人はすごすごと引き下がった。




そして、私は 定員人数のわずか後ろから3名のところでギリギリで乗れた。




バスは新宿から発車し、王子駅まで4時間かけて(通常は30分ぐらい)ノロノロ運転ですすんだ。




途中、具合の悪くなる人が続出で、その人達を降ろしながら進んだ。



運転手は「5時間は覚悟してください。トイレの方は申し出てください」とアナウンスして進んだ。




道路を見ると、歩いて帰る人で人間があふれていた。

倒れている人も結構いた。(なんで倒れているんだろ?)





バスについている無線で運転手同士がやりとりしていて、JRが再開されるのならすぐに連絡が入るようになった。



もし、JRが動き出したらバスをすぐ降りて乗りたい。

(結局JRはその日のうちに開通されなかった)



バスの運転手同士の会話は

「自宅が都内の人は歩いて帰った方が早い」とか

「今日は避難所へ行った方がいい」とか やりとりをしていた。





私は「絶対に避難所へ行くわけにはいかん。這ってでも帰るパンチ」と思っていた。




携帯電話の充電が、少しづつ減り始め、電話は出来ないが、メールは受信するようになった。




四国の友達から ぞくぞくと心配メールが届く。





最初は返信しなかったが、ある程度文章を打ち、友達数名に一斉送信をして、

「携帯の充電を温存したいから返信はいらない。私は生きているから」

という文章を最後に書いて送った。




この残った電池で、夫と姉と保育園との連絡をしなきゃならない。





バスに乗ること4時間が経過し、私は運転手の横に立っていたので相談した。



「私、川口まで帰るんですが、終点の王子駅まで乗るのか、より川口に近いバス停はありますか?」


と聞いたら



「王子駅まで行かずに、途中の神谷一丁目で降りてください。

北本通りと環七が交差している付近ですので、北本通りを埼玉へ向かって歩いてください」

と説明を受けた。




私はその場所がわかったので、あっ!!それなら近い!と思い、神谷一丁目で降りた。




神谷一丁目で降りたら、都心部から埼玉方面へ歩いている人が、まだまだ歩道にあふれていた。



途中でスニーカーを買う人、自転車を買う人もいた。




皆、散々歩いて来て、ここまでたどり着いたんだろうな?という光景だった。


疲れきっていたし、ヒールが折れている人(わざとに折ったのか?)

スリッパに履き替えている人・・・・がいた。




私は体力温存していたので、男よりも早いスピードで歩き、ガンガン人をごぼう抜きして歩いた。



混雑していたけど、車道へ出て歩いた。




車は大渋滞。車より歩くのが早かった。



8時すぎに 初めて夫と電話がつながり、夫は横浜方面から車で進んでいて、私のすぐ後ろで渋滞で停まっている状態だった。



「近いから、そこで待ってろ!」と言われたが、



車の方が遅いし、いつくるかわからないのを待つわけにはいかない。



それに寒くて、喋りながら口がガタガタ震えていた。



旦那とは電話で口論となったが、私は無視して歩き続けた。




東京と埼玉を挟んでいる荒川のかかっている、

「赤羽大橋」を超えれば川口市で、すぐそこは姉のマンションがある。




姉にはメールで連絡していたので、保育園へ夕方6時頃、子供達を迎えに行ってもらっていた。





やっと赤羽大橋になり「あーーーーー埼玉の光だぁ!!!赤ハート」と嬉しくなった。



赤羽大橋の手前に、コンビニがあり、



そこではかなりの人数のサラリーマン達が、歩き疲れたのか休憩しながら、パンを食べていた。



コンビニの棚はもうガラガラで全てが売り切れだった。




赤羽大橋の上でも、人間と車であふれていた。





大橋を渡りきったら、たくさんいた人間達は、四方八方へと分散された。





あーーーーひらめきそうだよね。




都心から歩いて帰るのは、この川口市で精いっぱいかもしれない・・・と思った。





それ以上、北の人は「帰宅困難者」にノミネートされるんだろうなと思った。


私も、あの新宿での早い判断が早めに自宅へ帰る事が出来たんだと思う。






「意地でも帰る」と決意してから 6時間近く経過して

夜9時には、姉のマンションに到着した。






姉のマンションでは、茶箪笥が倒れ、ガラスが割れていた。

恐る恐る自宅へ戻ったら、うちは何も壊れていなかった。

サランラップが下に落ちていたのと、金魚の水が少しだけこぼれていた。



家でテレビをつけて驚いた。

震源地は東北?????


東北、ひどいじゃない・・・・・。




今でも首都圏も余震は続いている。
















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Last updated  2011.03.14 12:59:19
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