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最後の日記が六月だった。 とりあえず、この二カ月間は非常に忙しかった。 まず七月に入ってから、バイトが始まり後半には期末テスト。 通年科目が多かったため、科目数自体はそれほどでもなかったが、なんせ内容が難解だったため、決して楽だったとはいえない。 ついでにサークル合宿の仕事が本格化してきたため、それまでの倦怠感あふれる生活とのギャップに溺れそうになった。 とはいえ、抑えるべきところはしっかり押さえているはずである。 ベストを尽くしたと言える。 そういえば、今年の誕生日はいろいろな人から祝ってもらった。 サークルの人には感謝せねばならない。 八月に入り、期末試験はひと段落した。 外部向けのライブとなる夏ライブに向けての練習が本格化する。 現在 組んでいる5つのうち、2つが予選に立候補する方針だったので特にその二つに力を入れた。 法学研究会も活動があったらしいが、なんせ連絡が遅すぎる。 その上、訳のわからない「義務」を課してくることに納得がいかない。 法学の研究をするのか結局飲むだけのサークルなのかよくわからない。 脱退の決心を固める。 所属していても活動に参加できない。会費だけが取られていくなら、所属している意味はない。 週一の通常活動には非常にお世話になったが、今度からは図書館にでも行って一人で復習しよう。 人全体が嫌いなのではなく、組織の老害が嫌いだ。 自分が定めたルールを自分で破っておきながら、組織の代表面をするとは何事か。 世の中に絶対的正義がないことは当然であるが、この組織には正義どころか常識がない。 つまるところ、私の肌には合わない ということだ。 その結論を出すのに2年かかった。それだけである。 確かに、法学の勉強ができるということは偉いことなのだろう。 だが、現在における「法学」とは一体何なのか? 僕に言わせれば、それは現状を肯定するための理論でしかない。 正義に基づいて、現状を修正するもの などでは決してない。 法学を学ぶまで、僕が「法学」というものに対して抱いていた理想は、 結局のところ、ただの妄想で、先に述べた「現状肯定の理論」が法学の真理なのかもしれないし、もしかしたら、僕が現状の法学について大きな誤解をしているのかもしれない。 ただひとつ言えるのは、現状を肯定するために、無理やり持って来たような学説や、理論体系を暗記することには興味がない ということである。 もっといえば、常識を守れない集団にあって「法」を名乗るのはおこがましい ということである。 法は人を守るための盾であり、悪人を罰するための剣である。 そして、絶対的な正義が存在しない以上、「法」という(かりそめであるにしても)正義のようなもの の存在は必要である。 そのスタンスに変わりはない。 そして先日、夏ライブのオーディションがあった。 今年はサークル員が爆発的に増えたうえに、去年よりレベルが上がっている。 さらに、レベルが低かったはずの去年でさえ、オーディションには通っていなかった。 よって、今年も ほとんどあきらめていたのだが、二つとも通ってしまった。 競争率も結構高かったのだが、まさか両方とも通るとは思わなかった。 これから夏ライブ・合宿とまだまだ気が抜けないが、とりあえず元気でやっている。 バイトを始めてから、僕の中で何かが変わったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.08.15 14:31:21
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