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カテゴリ:アレなゲーム
俺は今まで、「物語を読んで感動し、号泣する」という現象を三度体験したことがある。
一度目は橋元紡「リバーズ・エンド」。 二度目は福井晴敏「終戦のローレライ」。 そして三度目は――。 「マブラヴ オルタネイティヴ」。 見てすぐに判るとおり、これは世間一般でいわゆる「ギャルゲ」と称される類のゲーム。 正直なところ、「いくら何でもギャルゲ・エロゲの類で泣くとかマジであり得ないだろ」と思っていた。 ……この作品をプレイするまでは。 以下、感想的なもの↓ ――――――― 人は、自分が生まれ育った環境を当然のものとして考える。 その環境がより強固であればあるほど、その考えは強まる。 しかし、一人の少年に――白銀武が踏み込んだ並行世界は、「平和」という、自らの生まれ育った環境を真っ向から否定するものだった。 そこは、正体不明の異星起源種「BETA」の侵略と、それに抗する地球人類によって数十年に渡る戦争が続く世界だったのだ。 そして、人類を遥かに凌駕する圧倒的な科学力・統率力・物量を持つBETAによって、人類が滅亡寸前まで追い込まれている世界……。 「世界を救いたい」。 だが、武の理想と強固な現実は噛み合わずに不協和音を立て、巨大な絶望が次々と叩きつけられる。挙句、自らのために愛する者の命が次々と失われる。 過酷な現実から一度は逃げ出した武だったが、再び決意を固めて戦場へと戻る。 そして、BETAとの死闘に次ぐ死闘の中で、限界までその命を激しく煌めかせ、散って逝く戦友たち。 「人類を、なめるな……!」 「人間を、なめるなあああああッ!!」 持ち得る力の全てをその剣に込め、戦士は吼える。 世界のため、人類のため、誇りのため、未来のため、愛する人のため。 生と死、希望と絶望が交錯する、「あいとゆうきのおとぎばなし」。 ――――――― 「オルタ」は、ひどく悲壮な物語だ。 鬱も燃えも泣きも、およそそれらの諸要素が確かに含有されているが、その底流に在るのは「悲壮」ということではないかと思う。 12・5事件も、佐渡島攻略戦も、横浜基地攻防戦も、そして桜花作戦も、いずれの戦いでも根底には絶望を眼前にしても尚、勝利を信じて戦い続けなければならない事による悲壮を感じずにはいられなかった。 しかし、たとえ戦いの結果待っているのが悲しい結果だったとしてもその時その時に最善を尽くし、己の信念を貫き通した者たちの死は「悲壮」ではあっても「無様」では決して無かった。 伊隅大尉や速瀬中尉は死の直前、兵士としてではなく一個人として、一人の人間としての心情を吐露している。 彼女たちもまた、兵士である以前に人間だ。それぞれの想いがあってしかるべきだが、二人は兵士として信念を完全に貫き通している……とは少しだけ違うかもしれない。 が、伊隅大尉戦死の直前に武は、それは人として当然の事だと、おかしくなんかないと言う 。 兵士に徹し切れず最期に本心を現すその姿は、まさしく二人が人間らしい人間であることの証であり、その心を内に秘めながら極限状況の中で精いっぱい生き、戦った「悲壮」の結果だった。 神宮司も、柏木も、伊隅も、涼宮も、速瀬も。 榊も、彩峰も、珠瀬も、鎧衣も、御剣も、鑑も。 ラダビノッドも、香月も、社も。 そして白銀も。 およそ生きると死ぬとに関わりなく、皆が皆、この物語の中でキャラクターたちは少なからざる悲しみの中に居る。 しかし、その悲しみを打破するために命さえ投げ打つ覚悟を――内には拭い切れない絶望を秘めていたとしても――持たなければ、道は決して拓けない。逃げ続けても解決には決してならない。 それこそが、この狂った「おとぎばなし」の世界を脱するための鍵、だったのでは、ないか、と、思う……。 そして、その悲壮と覚悟と決意と最期を目にして。 俺は、泣いた。本気で、もうボロボロと涙した。 傍から見ると「コイツはギャルゲで泣いてんのか」と気持ち悪がられることだろう。 が、俺自身が「ありえない」と思っていた事を実際に体験してしまったように、オルタはそれだけの「凄まじさ」(“素晴らしさ”ではない)を持っている。 現に、クリアから一日たった今でも思い出しては感極まり、涙腺が緩んでしまう程www 良いものは認められるし、悪いものは振り向かれない。 人の心を動かすという事に於いて、小説とか映画とかドラマとか、ギャルゲとかエロゲとかいう媒体の別は、実はあんまり意味の無い事じゃないんだろうか。 もう、本当に「お前は何を言ってるんだ」と思われるかもしれないが、「マブラヴオルタネイティヴ」とは、そんな事を考えさせられもする物語だった。 ――――――― 最後に一言。 我々ユーザーにとってマブラヴオルタネイティヴという物語が「おとぎばなし」でしかないように、我々の今生きる現実もまたひとつの「おとぎばなし」でしかない。 「平和」にとって「戦い」は「おとぎばなし」であり、その逆もまた然りだ。 如何な平穏な世界に生きていても、それは見方によっては砂上の楼閣に過ぎないと思う。 我々は、平和や平穏を「謳歌」はしても、決して「貪食」してはならないのだ。 そして、この「おとぎばなし」にはもう少々「あいとゆうき」が足りない……のかもしれない。 ――――――― ああ、駄目だ。 ただでさえ文章(特に感想文)が下手なのに、感動した勢いに任せて書いたら余計におかしな言葉の連なりになっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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