|
カテゴリ:読書
マイクル・シャーマー
「なぜ人はニセ科学を信じるのか<1> 奇妙な論理が蔓延するとき」 「なぜ人はニセ科学を信じるのか<2> 歪曲をたくらむ人々」 読了。(共に岡田靖史訳・ハヤカワ文庫NF) 疑似科学の内幕や非科学性・不合理性を暴露する本……ではなく、疑似科学・ニセ科学の類を信じてしまう人間の思考形態に焦点を当てて考察を行った本。 科学とは、今現在の認識で最も合理性のある考えの集積であるらしい。 その意味では科学もあやふやなのかもしれないが、「○○は××だから△△」とはっきりとした形で言い切ってくれるニセ科学を信じたがるのは、現状の苦悩を解き放ってくれる簡潔な回答を望む人間の「逃げ」であるとも言える。 だって、大真面目に勉強するよりそっちの方が遥かに楽なんだから。 が、だからこそ科学的な思考を身に付けて、物事を測る事が重要になってくる。 それは、取りも直さず自分の「逃げ」に立ち向かう事にもなるのだと思う。 「複雑さと偶然に満ちた世界に単純な説明を与えてやれば、いとも簡単に、人間の信念を即座に満足させることができる。運不運は、人の善悪にかかわりなく降りかかり、それは一見でたらめに見える。科学的な説明は面倒で、訓練と、前進しようとする努力が必要な場合が多い。対して、迷信や運命を信じたり、超自然的な考え方をすれば、人生の複雑な迷路をより簡単に抜けるための近道が開けるのだ。」 (第17章 『なぜ人は奇妙な物事を信じるのか?』より抜粋) ――――――― 追記 ……思ったんだけど、これって「ゲーム脳」を初めとするゲーム・オタクカルチャー害悪論への反論の教科書として使えるんじゃないだろうか。 脳波の推移なんて素人にはまるっきり解らないし、「脳が破壊される」「人間性が失われる」といった、恐怖感を刺激する言説がそうした意見には溢れている。 これは本書でニセ科学の特徴として紹介されていたものに当てはまる。 そして、新たな説を唱える人々はその説が合理的だと説明するための「立証責任」を負っている。 それに関しては「ゲーム脳」なんかが提唱された段階で果たしていると考えてもいいかもしれない。 ところで、科学において重要な要素の一つに「追試・反証の可能性」が挙げられるという。 その説に対する他者の実験によって、同じ結果が得られれば合理性がより高まるというのが「追試」、その説に対して他者が試みる矛盾点などへの反論が「反証」だ。 反証を受けた新学説の提唱者は、反証に対する反証を行って自説の正当性を高める「立証責任」が生じる。 だが、このケースをゲーム害悪論の場合に当てはめてみると、幾分雲行きが怪しくなってくる。 ゲーム害悪論の提唱者が自説の発表当初に負っている立証責任は、既に果たされている。 「ゲームの普及によって少年犯罪は急増している」し、「異常な性犯罪が多発している」のだ。 さあ、次はそれに反対する我々オタク連中が反証を行う番だ! ……が、実際にゲーム害悪論に対するユーザーからの反論を見ていると、何だか怒りにまかせて感情的な発言をしているような印象を受ける事があるのは気のせいか?。 「エロゲが性犯罪の防止に役立っている」? エロゲの普及と性犯罪の発生件数の相関関係を示した信頼できる統計は存在するのか? 「今やオタク産業は日本の文化の一つになった。規制は良くない」? それがどうした。 今、問題にしているのは犯罪との関係性だ。論理のすり替えではないのか。 実際にエロゲと性犯罪の関係を調査した統計が有るのかは、俺は寡聞にして知らない。 仮に無かったとしたら、モデルケースとして 「売春が合法化されていた時代と禁止された時代の性犯罪発生件数」 「AV普及前と普及後の性犯罪発生件数」 あたりを念頭に置いて考えるべきかもしれない(そんな統計が有るのかも知らないけど…)。 要するに、あまり頭に来たからと言って、中途半端な情報を羅列して反証(といか反論)を行うのは馬鹿馬鹿しくないのかと言いたい。 我々ユーザーは学者や研究者ではないから、本格的に調査や資料収集を行う必要はさすがに無いだろうが、感情にまかせて言いたい事だけをひたすらに叩きつけるのではマトモな反論にはなり得ない(それは俺自身も例外ではなかった)。 それこそ「ニセ科学」を振りかざす人々の思うつぼだ。 だからこそ、感情的になって批判するのではなく、冷静に相手の説を分析してこちらの意見を述べるのが重要なのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書] カテゴリの最新記事
|