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カテゴリ:読書
人間のエロス(愛)は「美」を求める。
――――――― 太古、人間は男と女が一つになった「男女」(おめ。アンドロギュノス)であったが、神に逆らったために罰として肉体を二つに引き裂かれ、現在のような男女の性別が誕生した。 人間が恋愛をして子を生そうとするのは男女両性の結合によって太古の姿を取り戻そうとしているためであり、それはエロスの働きである(この点から、両性具有が完全性の象徴と考えられていた事がうかがえる)。 ――――――― エロスとは美しい神であり、自らに欠乏している物を求める性質を有する。 美に対する愛で秩序が保たれている神々の世界において、醜さは愛の対象とならない。 その場合、「美しい神」であるはずのエロスに「美」が欠乏しているという矛盾した結果が導き出される。 「美」はまた「善」でもあるから、エロスが「美」の欠乏に陥っていると考えた場合、「善」も持ち合わせていない事になってしまう。 しかし、エロスは決して美を保有していない訳ではない。 ただ、この解釈が違っているだけなのだ。 ――――――― 無知な「窮乏」と知恵を持つ「術策」の間に生まれた子、エロスはその中間に位置する存在であり、無知なる者と知恵を持つ者の中間に位置する「神霊」(ダイモーン)である。 無知と知恵の中間的存在であるエロスは、知恵を求めている。 エロスが欠乏している物を愛求するとは、つまり、「愛智者」(フィロソフォス)であり、知恵を持つ者=神々に近づこうとする事(美、すなわち知恵)。 エロスは人間と神々の間を取り持ち、これによって全き完全性が成る。 ――――――― 「美」=「善」。 美を所有する事は善を手にする事である。 また、善を所有する事は幸福を手にする事である。 そして、できる事ならば幸福を永続的に所有し続けたいと願うものである(名誉への欲求はそうした願いに起因している)。 つまり人間が生産活動を行って後代へと子供を残そうと思うのは、幸福を永く所有するためでる。 美しい者は、心身ともに美しい者と結びついて子を生そうとする。エロスは美を求めるものであるから。 ――――――― 美しい者は美しい者を求める。 美しく優れたる魂の持主に出会った時、彼は非常に喜ばしく感じ、これを実の子供よりも愛し教育しようとする事であろう。 この目的を達成しようとする者は、若い時から美しい肉体の追求を始めなければならない。 やがて肉体の美よりも心霊の美が価値の高いと悟るようになる。そうすると、愛嬌の無い者であっても心霊の立派な者に対して指導を行いたいと考えるようになる。 職業活動・学問を通じて愛の指導を受けて来た者は、独立自存・独特無二であり、永遠性を持つ美(恐らくは観念上の存在?)へ辿り着く。 ――――――― 一つの美しき肉体から二つの肉体へ、それから全ての美しき肉体へ、次に美しい職業活動、美しい学問に到達した者は、美そのものの学問に到達する。 ここに至って、いよいよ彼は真の徳を産出し、真理を補足する。 これを育て上げた者は神の友となる事を許され、まさに不死という特権は、彼にこそ与えられるべきなのである。 人性においてエロス以上の助力者を得る事は難しく、だからこそ人はエロスを賛美しなければならないのである。 ――――――― こうですか? わかりません>< 「エロス」とは、つまり、愛智者の知恵に対する欲求であり、「愛されるもの」ではなく「愛するもの」。だからこそ、エロスに導かれて少年を真の有徳者へと育成せんとする。 何にせよ、俺がこんなに考えながら読書したのって初めてじゃないか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.05 00:16:46
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