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カテゴリ:読書
ニッコロ・マキアヴェッリ「君主論」(河島英昭訳・岩波文庫)読了。
とかく「冷酷非道」の代名詞のような扱われ方をされているマキャヴェリズムだが、少なくとも本書を読む限りではそのような評価は不当な物ではないかと感じられる。 君主論で語られているのは様々な事態・様々な政体を想定し、そこに君臨する者は権力をいかにして維持伸長すべきかという事だ。 確かにそこには、現代的な視点で考えれば冷酷と解釈できる余地も存在する。が、それは国家(当時における“国家”が、近代的な“国民国家”と同一の概念という訳ではなかったようだ)の形を守り、かつ発展させていくための非常に冷静かつ現実的な洞察なのだ。君主が権力を失って国自体が崩壊してしまえば元も子もない。 だからこそ、著者=マキアヴェッリは国を造り発展させる「力量」を持ち、支配権をもたらす「運命」を味方に付け、敵を捻じ伏せる「獅子のような力」と、罠を見破る「狐のような知恵」を併せ持った君主を理想として説いている。 それは取りも直さず、諸外国に蹂躙され、分裂の極みを迎えていた彼の祖国・イタリアが統一される願いを託しての事だったのだ。 イタリアを救う「救世主」の出現を熱望する本書は、次のような言葉で締め括られている。 「かくも長い歳月の後に、イタリアが、その救世主に巡り合わんとするとき。 (中略) どこの城門が、この方のために閉ざされようか? どこの民衆が、この方への服従を拒むであろうか? どのような羨望が、この方を阻むであろうか? イタリア人ならば誰が、この方への恭順を拒むであろうか? (中略) ご尊家の旗印の下に、この祖国は気高く輝き、ご尊家の庇護の下に、かのペトラルカの言が現実のものとなりますように。そこには告げられていた。 力量は暴虐に抗して 武器を執るだろう、そして戦いは短いだろう。 太古の武勇はいまだ イタリア人古来の心に滅びざるがゆえに。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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